殺生と戦争の民俗学 柳田國男と千葉徳爾 (角川選書 582)
殺生と戦争の民俗学 柳田國男と千葉徳爾 (角川選書 582) / 感想・レビュー
iwasabi47
大塚英志氏の学生時代の恩師千葉徳爾と柳田國男の話。以前の大塚氏の著作の中で千葉氏は『民俗学は偽史である』と昔語ったそうである。それだけで気になる話ではないか。以前の大塚氏の民俗学著作の話も再考察(というか言葉濁さず)されててそのあたりも面白い。内容はまだ消化できずw
2017/04/18
tama
冒頭の「切腹考」の印象が強烈すぎて頭を離れない。論が進む中で、千葉の学問の真の姿、柳田の民俗学の可能性が明らかになっていくという構成なのだが、本質に迫ったというスリリングな感じはせずに、ただ論だけが進んでいく。読後にあまり納得感はない。思い出したのが、昔読んだ「山の人生」が素晴らしすぎて、同じような本は他にないかと柳田の著作を漁ったこと。だが、大塚の言うような柳田独特の筆致(結論が結局よくわからない文章)に惑わされただけで終わった。千葉にとっても「山の人生」は特別な本のようなので、そこには親近感を感じた。
2022/04/18
がんちゃん
「社会を内省する作法」こんなことを考えている人はいるのだろうか?政治家にはいないことだけは確かだ。
2018/10/25
Myrmidon
自らのロマン主義的傾向と揺れ動きながら、 内省する公民を作り出そうとする「公民の民俗学」を志向した柳田と、その構想を素直ではないが継承した弟子の千葉。彼らは持て余し気味にも見える「私」(個人的心情や性向)と向き合いながら、現代的・同時代的な関心に基づいて社会や公共の在り方を追究した。とゆー。柄谷の『遊動論』の批判も書かれているが、これは要復習。
2017/06/14
hasegawa noboru
親分子分関係の徒党の中、ボスのいうままに投票する普通選挙民のあり方(今と同じじゃない!)を柳田國男はおおいに憤ったという。初期山人論に見られるありもしない過去を追想する如きロマン主義を封印し(歌のわかれ)柳田が目指したのは社会政策、教育政策としての「公民の民俗学」。「常民を研究する」のではなく「常民が研究する」学として柳田学はあったという。趣味、道楽としての、あるいはアカデミズムの民俗学に堕することを嫌った。その柳田のどこを千葉徳爾なる理系学者は受け継いだか。千葉から筑波大で学んだという筆者が語った本。
2017/06/16
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