ホラー小説講義
ホラー小説講義 / 感想・レビュー
Kouro-hou
荒俣先生、ホラーの小説の歴史を語る。恐怖の文学化や、怯えるという心理を矮小化する事とホラー小説の地位の低さは連動している件、中国や日本の東洋ホラー小説事情、先生自ら眼福と仰せのパルプ雑誌のカラー表紙絵コレクションなど内容は幅広い。この本の表紙もパルプ雑誌の表紙から来ているが、これは大人しいほうで、ムチムチ金髪のお姉ちゃんが醜い悪魔や科学者に大変な目に遭わされる今日発刊不可能な絵が盛りだくさん。さすが博覧強記の荒俣先生、極論や右端から左端へ飛んだりするも、これが先生の持ち味だなと楽しい。口絵が多いのも良い。
2016/10/26
タミイ
荒俣先生、さすがの一言。恐怖という感情や欧米各国の文化民族的な恐怖の違いや、恐怖の文学化、ラヴクラフト、キング等から知られざる名作品群と歴史を詳しく語る。東洋編では中国の古典に見るホラーや日本の「呪い・祟り」思想、妖怪についても詳しい。ホラーを「詩」に昇華させたという宮沢賢治論も面白い。読者への「目の歓び」だという1930〜40年代の「ウィアードテールズ」等パルプマガジン、昭和初期の探偵怪奇小説誌と、豊富で貴重なカラー表紙は眺めるだけで胸躍る。索引や作品年表も充実、素晴らしいオタク泣かせぶりである。
2016/06/24
王天上
空想文学千一夜とだいぶ重複していたので、あっという間に読了。黄金時代の作品はアンソロジーで読めるのだが、戦後のお薦め作品とか紹介したブックガイドとかないのかなあ。
2017/03/03
ゆーいちろー
恐怖物語には「意図したる物」と「意図せざる物」があると考えている。ごく単純に言えば意図したる物とは虚構、創作の類である。個人的には「新耳袋」のような怪談実話を売り物にしている物も、怖がらせる話として世に出ている以上虚構として扱ってしまう。作者の意図ではなく、時おり読者自らが怖さを発見してしまうことがある。それが、「意図せざる物」なのだが、個人的にこれまでで一番怖いと感じたのは柳田國男「遠野物語」だったりする。深夜、一人で卓上ランプの淡々とした灯りの下で、この本を繙くと、明治の御代、跋扈していた妖しき物が…
2013/06/17
久守洋
ところどころ飛躍があったり極論があったりするので付いて行けず読みづらい箇所もあるが、良書だと思う。アメリカの「モダン・ホラー」の項などでは重要な指摘をしている。
2009/08/11
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