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武道から武術へ: 失われた「術」を求めて

武道から武術へ: 失われた「術」を求めて

武道から武術へ: 失われた「術」を求めて

作家
甲野善紀
出版社
学研プラス
発売日
2011-06-01
ISBN
9784054048867
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武道から武術へ: 失われた「術」を求めて / 感想・レビュー

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姉勤

稽古とは反復という同じことの繰り返しではなく、自身の躰と問答し、作用反作用を発見していく事かしら。日々の研鑽から、常識となったセオリーを疑い、工夫の中で体験、体得し、さらにそれのレビジョンを上げていく。「武」が彼我をコントロール下に置く事にあるなら、その「術」は、解らないけども何故かできてしまう妙なるものの事か。武術の入口がわかった頃には老い。人の一生は短い。

2015/10/26

tom

体の使い方の面白さを語る本。当たり前のように思っていても(生まれたときから使っているから、当たり前と思うのは当然のことなのだけど)、気づいていないことがいっぱいあるのが自分の体であり、目的を持って、いろいろと考え、工夫していたら、新しい発見があるということを書いている。武道やスポーツだけでなくて、体に故障があったり、楽器を演奏するなど、身体に関することに応用も可能。成果をまとめて、独りでも試すことができるようになることを期待します。

2011/09/14

yyhhyy

甲野氏が気がついた身体操作についてツラツラと述べられた本。なかなか高度で本では理解が難しいが人間の身体の潜在的パフォーマンスは馬鹿にできないと思い知る

2022/03/28

寝子

バスケに使えないかと思って。ただむしろ思考の方に影響がありそう、違和感の重要性とか居つきへの自覚とか。反復練習が下手な自分を絶えず確認するものになってはいけないというのはほんとその通り。頭とか身体感覚をサボらせてはいけない。

2019/01/05

なつきネコ@中の人だよ!

とんでもない武術観の世界だな。言っている事はなかなかわからないが、甲野善記氏の人生観には多いに賛同できる。私にわかるかのは居合における翡翠の術利と刀を両手を近ずけて、握る部分ぐらい。そういえば現存する土方歳三の愛刀にも両手を近ずけて、握った後があるらしいので、江戸時代ぐらいまではその握り方はあった証拠になるのでは。

2014/02/26

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