妖怪草紙 (学研M文庫 M あ 7-1)
妖怪草紙 (学研M文庫 M あ 7-1) / 感想・レビュー
夜間飛行
魔多羅神や荼吉尼から人々が得てきた闇の力が今も受け継がれているかどうか、表の世界からは隠されていて見えないが、兎も角いえるのは裏を知らなければ表もわからないということ。民間に親しまれた河童にしても、大工仕事で使われた人形が女を孕ませ悪事を働いて妖怪化していったとされ、そこには川の民や式神(職人=しきじん)など被差別民の姿が見え隠れする。想像の世界を侮る勿れ。釣り糸や弓弦を通して異界と連絡し、竜の玉や鬼の手をキャッチボールしているという幻想の上に、今日の経済や交易に対する認識が育まれたとしても不思議はない。
2018/10/25
二笑亭
今でもTVで妖怪特集が組まれればどちらかが必ず呼ばれる、荒俣宏と小松和彦の対談集。対談自体は1987年に行われたもの。主にキャラクター化される以前の「妖怪」について語られており、妖怪をたどる作業は日本人の想像力の歴史を探ることなのだと思った。闇の喪失と近代化は生活が便利になった一方で、人間から想像力を少しずつ減退させていったのだろう。「妖怪」とは宗教等の文化的背景、風土、差別意識などの複数の要素が収斂されたイメージなので、「いる」「いない」だけで語るのはナンセンスだと再認識。
2022/12/05
∃.狂茶党
「片輪車」ないしは「火車」と呼ばれる妖怪がいる。妖怪の実像は多様なもので、同じ名前であっても様々なものが現れるのだが、牛車の車輪に対する、驚きのようなもの、法輪の印、チャクラが混ざり合い、弔い・死の世界とも結びついているようである。回転する分割された輪はユングの語る元型のひとつ。 この本では、想像力の領域のうち、権力と結びつく聖なる世界とは別の、闇の歴史が語れていく。 二人の見解は概ね合一しており、そのことが密度を高めている、今後の展望、期待のようなものも語られる。
2021/07/12
やいとや
プレ京極夏彦な対談集。小松、荒俣の「妖怪が発生し辛くなった」という嘆きは京極の登場と共に新たなフェイズへ移行したが、両者が拘る「キャラ化する前の妖怪」という起源や根源を巡る思考は、京極夏彦が開き直って語る「妖怪はキャラ」という断言に駆逐されてしまった感はある。妖怪学、というモノがあるなら、この『妖怪草子』と京極夏彦の『妖怪の理 妖怪の檻』何方も必要になるのだろう。作中で「大陰陽師がいない」「憑き物を落としたいけどありふれた呪文を唱えるだけじゃだめになって」など、京極堂の登場に繋がるような示唆が実に面白い。
2019/08/04
つばな
あいまいなもの、狭間にある恐ろしさを排除していった現在において存在をなくしていった妖怪について語る。なかなか熱い対談です
2009/12/31
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