種田山頭火: 漂泊の俳人 (講談社現代新書 363)
種田山頭火: 漂泊の俳人 (講談社現代新書 363) / 感想・レビュー
まふ
恐らく4読目。今回は尾崎放哉との比較の眼で読んでみた。放哉の乾いた理知的な,言わば無機質な句に比べると、山頭火の句は自然の中から声を上げているような生々しさ、言わば有機的な句が特徴的だ。金子兜太は山頭火を求道者ではなく「存在者」と認識している。つまりありのままの存在というわけだ。生々しい「生臭坊主」なのだ。放哉の研ぎ澄まされた感性とは大きく異なる山頭火の「生き様」。虚子俳句のアンチテーゼとして生まれた自由律という奇跡の中の奇跡「放哉と山頭火」、実に興味深い二人だと思う。
2024/10/08
有沢翔治@文芸同人誌配布中
俳人、金子兜太による種田山頭火の評伝。放浪癖に型破りの生き方は事実。幼い頃の母親の死が根底か。この寂しさのエネルギーが創作に向かえばすさまじくなるのだが、現代では生きていけないなぁ、とも。現代はクリエイターにとって行きにくい社会?http://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/51504876.html
2019/04/15
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