限りなく透明に近いブルー (講談社文庫 む 3-1)
限りなく透明に近いブルー (講談社文庫 む 3-1) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
1976年上半期芥川賞受賞作。選考委員たちは、その完成度にはやや戸惑いながらも、概ね高得点を与えている。それだけ未知の文学としての期待度が高かったのだろう。まず、タイトルはこれぞ芥川賞に相応しいというくらいに秀逸だ。また、エンディングに近いあたりのガラスの破片に映った「透明に近いブルー」のイメージも鮮烈。物語の場として横田を選んだのも成功しているだろう。その一方で、小説の中身はというと、ドラッグとセックスと無意味な暴力の氾濫である。素材としての目新しさが売り物の、一種の風俗小説の一歩手前といったところか。
2014/01/31
遥かなる想い
第75回(1976年)芥川賞。 凄まじいまでに、ドラッグとセックス満載 の作品である。 全編に立ち込める若者たちの鬱積した 思いを、まるで 読者を嘲笑うかのように、 ひたすら 暴力的に 描き続ける。 ひどく退屈で、どこを読んでも 同じ内容 …だが、記憶には 残る、そんな作品だった。
2017/10/06
zero1
今から40年以上前の76年、文学の世界に24歳の黒船来襲!基地の横田を舞台にドラッグ、セックスに暴力が続く。文庫解説の今井が述べているように描写だけが評価されたわけではない。「静けさ」がこの作品にはある。もちろん賛否はあったし今もある。薬がなくても描けることは多い。しかし間違いないのは、人が「できる」ということがすべて文学になるということ。ならばどんなに頭の固い人でも、この作品を「あり」と認めなければならない。新たな作品を認めなければ、文学は停滞してしまう。でも、読書に正解なし。本書の挫折、批判は自由。
2019/01/09
ミカママ
初読みは17歳だったか?漱石の『坊ちゃん』や、梶井基次郎の『檸檬』など、当時、教科書的な本をメインに読んでいた身には、雷が落ちたかのような衝撃でした。以降、私の読書人生、いや人生そのものに影響を与えた、と言ってもいいほどの作品。今回、年始に久しぶりに読み返してみて、登場人物たちのセリフだとか、案外覚えているもんだな、と。最近はあまりフォローしていない龍さんですが、あのタイミングで、この本を世に出してくださったことに感謝。読み返すたびに思いを馳せるのは、龍さんはリリーさんと再会できたのかなって。
2015/01/02
yoshida
何度目か分からない再読。米軍基地のある福生。描かれる退廃的な日々。ドラッグ、性、暴力。登場人物はみんな空虚さを感じながらも、刹那的に退廃的に生きる。この作品には吸引力がある。リリーとリュウがドラッグで朦朧としながら雷雨の夜に車を走らせる。ケイへのヨシヤマの暴力。手首を切ったヨシヤマへのケイの言葉。リリーの部屋で大きな黒い鳥に気付き叫び続けるリュウ。救いとなるグラスの破片を通した夜明けの色。黒い鳥は何の暗喩だろうか。社会か、現実か、生きることか。何度読んでも読み解けない部分はある。だが読まずに居れない力作。
2021/08/08
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