中核VS革マル(上) (講談社文庫 た 7-3)
中核VS革マル(上) (講談社文庫 た 7-3) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
まず驚くのは、本書が書かれたのが1975年であること。まだまだ中核と革マルの、いわゆる内ゲバの渦中ではなかったか。最悪の場合、双方から反革命分子のレッテルを貼られて狙われる危険を伴っていたのではないか。我々局外者からすれば、中核も革マルも(本書に登場する他のセクトも。さすがに共産党は除外されそうだが)、革命への路線や戦術は違っていても、究極の目的を同じくする集団なのではなかったのかと思うのである。本書は、それに対して実に明快に答えていく。立花隆の分析力と情報整理力に脱帽。
2023/08/17
matsu04
立花隆がこれを書いたのは40数年前だが、今読み返しても呆れるほど面白い。複雑怪奇な経緯を辿り対立に至った中核・革マル両派の実態が、新左翼各セクト離合集散の歴史を紐解きながら、分かりやすくかつ論理的に語られる。「職業は勉強家」と称する氏の面目躍如たる書である。
2016/05/27
秋 眉雄
『川口君事件以前の段階で、すでに殺し合い内ゲバへのレールは敷かれ終わっていたことはこれまでの記述でおわかりだろうが、実際の引き金を引いたのは川口君事件である』。映画『ゲバルトの杜』札幌公開は6月22日(2024年)。それを観てから下巻を読み始めようと思います。ちなみに下巻の最後が1975年7月までの取材らしいのですが、そこ迄の死者は33名。さらに殺し合いは続き、結果、100人を軽く超える人数にまで到達するらしいです。
2024/06/06
河織吾郷
ヘルメットを被りゲバ棒を振り下ろす若者たち。機動隊に向かって火炎ビンが投げられ、その炎上する光景は青春の熱情そのものだったのか、はたや革命という幻想の怪火なのか。60年から70年代を生きた世代にとってはブラウン管を通して見た学生運動は身近だったのだろう。えてしてその世代の人々は、昨今の若者には活力がない、自分たちが学生だったころは…と世代間論争を投げかけるが、この本の前半戦を読んだ限りでは、正直おぞましさしか感じ得ない。さぁ、その惨憺たる内ゲバに行き着く内在的論理を、後半戦でも読み解くとしよう。
2015/09/11
こうすけ
中核派と革マル派、その抗争の歴史を、ブントの成り立ちなどにさかのぼって語るノンフィクション。ただのお勉強にならないよう、機関誌や証言、両派に引き裂かれた恋人たちの手紙などを散りばめた構成がめちゃくちゃわかりやすい。今まで言葉でしか知らなかった、中核、革マル、ブント、赤軍、新左翼、全共闘などの意味を学ぶ。こんな時代もあったのか。若者の時間がありあまっていたとしか思えない。両派とも、自分たちの弱みや失敗、リスクを正当に省みず、勇ましい言葉遊びで無理やり自己を肯定していく感じが、軍国主義そのものとしか見えない。
2023/07/27
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