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テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ (星海社新書 53)

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ (星海社新書 53)

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ (星海社新書 53)

作家
伊藤剛
出版社
星海社
発売日
2014-09-26
ISBN
9784061385566
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テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ (星海社新書 53) / 感想・レビュー

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またの名

「ぼくら」などという曖昧な読者共同体を勝手に立ち上げてヒューマンな手塚的漫画以外は漫画と認めないフィルタリングを、冷静かつ明晰にフルボッコした名著。手塚が全ての漫画表現の起源にされてしまう基準に代えてシステム論や映画理論を用いる分析は、他ジャンルに寄りかかって済まさないで漫画独自かつ客観的な表現論の確立を目ざす。ちゃんと定義されてたわけでもないキャラクター/キャラの違い、コマわりと言い習わされてきた技法を論理的に基礎づける手並みに溢れる気負いが宣言した通りを実行。これは確かに踏み台にすべき前提となる議論。

2017/03/07

しゅん

手塚治虫が近代マンガのすべてのはじまりだったという根深い神話を解体し、マンガ批評に新しい風を呼び込んだ一冊。明確な目的意識で貫かれているが故に若干地道な論考ではあるものの、これまでのマンガ論をすべてひっくり返すようなダイナミズムがとにかく刺激的だった。特に手塚『地底国の怪人』を基にしたキャラ/キャラクターの差と、その差が隠蔽される流れを明るみに出した分析は見事だし、読んでいて気持ちいい。映画や小説など隣接する他ジャンルの分析の参考にもなる。しばらく離れていたマンガ表現に、また近づいてみようかしら。

2017/04/03

空箱零士

マンガ(評論)界の「神話」となってしまい、取り分け九〇年台以降のマンガの語りを困難にしてしまった手塚治虫及び作品群(「手塚治虫という連環」)に対し、マンガ全体を表現論(「キャラ/キャラクター」「フレームの不確定性」)の観点から語り直すことで、「神話」に依らないマンガの語りの橋頭堡を作ろうという試み。手塚の革新性の説明としては常識的な認識である「映画的な表現」は必ずしも手塚オリジナルではなく、むしろそのようなマンガ認識こそ、言説の要請も相まって九〇年代以降の閉塞感を作り出す一員となった、という指摘が印象的。

2017/10/21

みのくま

本書は、あまりにも手塚治虫が偉大すぎた為マンガ表現の起源が手塚に収斂してしまっていると指摘する。手塚に縛られる事なくマンガを語る事で、例えば本書刊行当時の「マンガは終わった」という言説のピントの外れ具合を指弾できる。結果、マンガ研究がよりひらかれるという事らしい。そういう意味では2019年現在、マンガ研究はよりアカデミックな方向に舵を切っており、手塚の亡霊からは振り切れたかもしれないが、別の袋小路にはまり込んでいる気もする。概してぼくの読後感だと「テヅカ・イズ・デッド」イズ・デッドと言ったところか。

2019/05/05

ころこ

マンガはつまらなくなったという批判が、ちょうど手塚治虫が亡くなった80年代後半以降のマンガに対し起こります。それでは、マンガの独自性とは何か。本書では、それを『キャラ』『コマ構造』『言葉』の要素に分けて説明しようとします。3章のキャラ論では、キャラとキャラクターと峻別しています。キャラとは、比較的単純な線画による見た目の特徴と人格を持つ、作品横断的で再帰的な背景化した固有名と定義できます。他方、キャラクターは、キャラを基にコンテクストに縛られ、身体の表象として現前化した作品の登場人物と定義できます。ここで

2017/09/17

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