KADOKAWA Group

Facebook X(旧Twitter) LINE はてブ Instagram Pinterest

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書 1315 JEUNESSE)

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書 1315 JEUNESSE)

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書 1315 JEUNESSE)

作家
鷲田清一
出版社
講談社
発売日
1996-07-19
ISBN
9784061493155
amazonで購入する Kindle版を購入する

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書 1315 JEUNESSE) / 感想・レビュー

powerd by 読書メーター

ケイ

コロナ禍での図書館閉鎖中 息子の高校時代蔵書より二冊目。前書きが反発心を起こさせるもので、その中身を見極めようという推進力で読んだ。「わたしとはなにか」からは、他者について考えなければならない。その問いに悩む者が、他者との関係を突き詰めて考えているとき、哲学的にアプローチすることからは救いを見出せないように思えた。さて、作者は、同じ種類の答案を男子学生が書いたとき、果たして最高点を付けただろうか。納得できない。終盤にある老人と女子高生を並べたところも引っかかる。その採点は、私が学生の一人なら詰問したい。

2020/04/05

まーくん

自分の期待していた内容とは違った…というより、多分違うだろうと思いつつ読んだが、やはり違ったというところ。”なぜ自分が自分で、他のあの人が自分でないのか?なぜ自分という意識が私の中にできたか?”まあ自分にもよくわからん疑問だし、他の人には良く説明もできんが、自分にとっての長年の疑問。哲学や心理学は苦手だし、近づくと泥沼にはまり込み「我思うゆえに我あり」などとまるめ込まれそうだし。ザーと読んだが(熟読しても理解できない本をザーと!笑)、他者との関係からしか自分を認識できないということかな?納得はできんけど。

2021/06/04

夜間飛行

オリバー・サックス描く模倣発作に取りつかれた老女の《吐きだし方》は、生の反動のようなものか。自分に形を与えるプロセスが政治的なもので、《それをはずれるものには欠陥とか劣性といった否定的なまなざしでみずからを見ることを強いる》なら、老女は〈非‐わたし〉を差別する〈わたし〉を吐き出していたのだろう。著者は、自分とは《在るというより語り出されるもの》であり、《わたしたちはじぶんになりたいと同じだけ、じぶんから降りたいと思っている》と言う。そうやって他者の他者として自分を確認する能動性を見出す道は、人それぞれだ。

2017/05/27

里愛乍

先日懇意にしている絵師が、共通の友人について少し本音を漏らした。「彼女は私の絵を本当に褒めてくれる。好きだと言ってくれる。でもあまりにも絵のことでしか褒めてくれない」絵だけじゃなくて、自分をちゃんと見て欲しいと云うのだ。そんな他人を感動させるような才能を持ちながら、まあなんて贅沢な悩みと凡人な私は思ったのだけど。性別環境その他諸々の要素で今の自分が形成されてるのなら、それら全て取っ払った時、それが本当のむき出しの自分であるのならば。なら、今此処にいる自分は一体何なんだろう。それだって〝じぶん〟でしょう?

2017/11/02

shikashika555

鷲田清一氏と言えば 高校生の国語問題に山ほど引用されて出ているが、大人にとっても折に触れて読み返し 自分のモノの感じ方の原点に立ち返ることの助けになってくれる。 今回はサラッと読み通してしまった。 もう随分考え済みと感じる部分も、違う言葉で語られると もいちど向き合ってみようかなーとも思える。 電車で化粧、装いは他者のためのもの、の二項については、男女で捉え方が違うのかもしれないと感じるところがあった。 5章 「顔を差しだすということ」本書の中で一番読み応えがあり 思考も気持ちも刺激された。

2020/06/30

感想・レビューをもっと見る