教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書 (講談社現代新書 1553)
教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書 (講談社現代新書 1553) / 感想・レビュー
サイバーパンツ
扱う作品が古過ぎるが、出版時期を考えたら、それもやむなしか。大塚英志のまんが論は、彼の抱えるテーマであるキャラクターの身体性と成熟の問題を軸に考察していく。ササキバラ・ゴウのアニメ論は、アニメ史を追いながら、重要な作家・作品を取り上げ、後世のアニメに与えた影響などを論じていく。大塚英志のは完全に彼のまんが論で、バイアスが強くかかっているので、教養として良いのかどうか。ササキバラ・ゴウのは、アニメを文脈で捉えられるので、今の作品から考えても、応用が効いて良い。ワナビーが教養にするなら、後者のをおすすめする。
2016/11/18
みのくま
まんが・アニメの「古典」をばっさばっさと解明していく本書は、まさに教養書だ。特に驚くのは、大塚、ササキバラ両氏の熱量である。低級に見られていたコンテンツを覆そうと、彼らは実存をかけて本書を書いたのだろう。彼らの功績は、後続の作品や批評に多大な影響を与えた事は想像に難く無い。ただ、彼らが評価した作品群は、現在ちゃんと読み継がれているかは微妙だ。表層のフォーマットのみコピーし、そこに果たして熱量はあるか。ぼくはただ自らの不明を恥じ、粛々と本書に挙げられていた作品群を消費するのみである。まずは少女マンガからかな
2018/12/16
しき
戦後の作家たちは様々な技術を発明し、記号としての体を持ったキャラクターに生身の体を付与していく。その過程は、体を記号としてしか認識できない現代人が、生身の体を獲得する参考になる。出てくるキャラ達が幸福になれないのを見て「人間が幸せになるにはどうしたらいいのか」を考えさせられる。何かを達成したとしても、それが他人に与えられたものだったらダメで、いつかはその他人から脱出しなければならない。自分の内面を多層的に観察しても、問題の先送りしかできない。今後、物語を作るときには一体どうすればいいのだろうかと悩ませる。
2015/01/08
OjohmbonX
大塚英志のまんがパートを読んでてイライラするのが、各章1人の作家論の形式をとりながら作家固有の現実をあまり見ずに結局「記号が肉体とどう折り合いをつけるのか」という自分が設定したテーマに還元する態度。「戦後まんが史」をそんな視点で眺められるという指摘自体は面白くても、その一点で組織化して済ませるなんて漫画家達も浮かばれない。本人は百も承知でやってるんだろうなと思うけど、その態度を許す怠惰が気に食わねえんだ。ササキバラ・ゴウによるアニメパートの方が、物語化した歴史で貫いたりはしないって点でよほど真摯だと思う。
2014/04/28
NICK
あまり漫画は読まないタチなのだが、手塚治虫以降の漫画史において、つねにキャラクターの、ひいては人間の身体性の表現が問題となっていたという視点は非常に興味深かった。キャラクターの傷つく身体/成長する身体の問題という「アトムの命題」は、挫折するビルドゥングスロマン、重層化する意識、オタクの歪な「私」など、様々に変奏、継承されていき、90年代には生の身体が記号の身体に近づいていった。「アトムの命題」の始まりからすると非常にアイロニカルである。この辺の問題は文学史的には『なんとなく、クリスタル』に重なる部分か。
2012/06/21
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