東洋的無 (講談社学術文庫 770)
東洋的無 (講談社学術文庫 770) / 感想・レビュー
プロメテ
イデアの脱構築なる、離脱。西洋の先鋭的な思考が目指したものである。すなわち西洋の「在る」神からの根本的な転換である。それは価値生活をやめる、という原初の黄昏である。その時とは意識の否定道、言葉の滅却道であり、必然的にそれは自我を滅し、自己に到達するという禅的発想をとることである。その超越は宗教的死である。その死はもはや無をも無とする全人間的無である。価値生活の離脱ということは、本質的なことであり、その絶対的なる平等には対立なく自他の別がない。純粋自己とは、絶対一として一切のものに内在するということである。
2023/12/31
Bevel
主体と客体、個別と普遍は、同じように「有」として捉えられ、それらが関係できるということの条件として「東洋的無」が想定される。想定されたものを本当に知るためには、禅が必要だ。東洋的無は、存在(有)の条件かつ無限定で、超越しない。道徳とは無関係に、禅などの宗教によって、「人間の心が死んだ状態」において体験される。さらに間断的とされる意志の条件であり、人間の救済可能性を保証する。とまとめてみた。
2012/09/03
じろう
わからん。
2022/01/05
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