仕掛けとしての文化 (講談社学術文庫 823)
仕掛けとしての文化 (講談社学術文庫 823) / 感想・レビュー
ルートビッチ先輩
「仕掛け」は隠されている。隠されたものは、文化からは消されていくべきものである。しかし本書は「仕掛け」としての「文化」を語る。文化が仕掛けを拒否する身振りにはそのようなあり方で仕掛けを認めるという身振りをも含んでいる。中心―周縁などの山口昌男の基本的な理論にも通じる点。道化を中心として泥棒、ぺてん師、異人といったものの持つメカニズムについて語る。それは異物を持ちこむことであり、ということはつまり何か一致しないものを一致させる技術にも通じているはずだ。
2014/11/04
あかふく
文化が普通に考えられるように「人間がそこに属している領域」というようなものとして考えられているならば、「仕掛けとしての文化」とは非常に奇妙なタイトルだと思われるだろう。「仕掛け」とは本書で説かれるように、何か見えていないものの存在を発覚させるものであるからだ。文化はそのような仕掛けを拒否する。しかし何にしろ、「かたち」と「内容」などのように常に二重の領域、あるものとそれの否定を含むのだということは最早了解されている以上、二重に思考していく方法が必要だ。そのためのガイドとしての、山口昌男によるエッセイ集。
2014/08/11
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