顔の現象学: 見られることの権利 (講談社学術文庫 1353)
顔の現象学: 見られることの権利 (講談社学術文庫 1353) / 感想・レビュー
紫羊
通勤本に選んだのが間違いだった。電車に乗っているのは10分足らずなので、切れ切れにしか読めなかった。2ヶ月もかけて腑に落ちることなく読み終わってしまった。これは再読しても理解はできなさそう。取り上げられていたリルケや「箱男」は再読してみようかなとは思う。
2022/12/30
魚京童!
鷲田は考えさせるのだが、何を言っているかわからない。きっと本人もわかっていないのだろう。そんなことを思う。顔が見えなくなった。阪神大震災後もそうなのだろうが、今もそうだ。ネットを通じた感じ。しかもリアルタイムで修正することだってできる。顔を見る必要がなくなった。ノンバーバルコミュニケーションがいらなくなったこの世界で、もっと記号学を学ぶ必要があるように思う。すべては記号なのだ。それを学ばずしてやっていけないのだろう。マクロを組むように仕事をする。仕事ではないのだ。手配なのだ。調整するのがお仕事になる。
2021/07/18
ハイちん
他人の顔を見てぎょっとしたり、他人の顔を見ると落ち着かなくなったり、壁のシミに顔を見出したり、といった顔にまつわる現象ついて現象学の観点から論じていくという本。面白いのだが、怖い本だと思った。自分の顔を自分で見ることはできない。だから人は他人の顔に〈わたし〉の顔を写し取る。『表情』とは解釈されコード化された『だれでもない顔』であり、人がひげを剃ったり化粧をしたりするのも『だれでもない顔』になるための努力なのだ。模倣としての顔、他者のなかに埋没していくための〈わたし〉。そんなこと考えたこともなかった。
2016/08/22
ネムル
眼差しが出逢う時間的な出来事・現象学としての顔から、解釈・全体化の外部へと向けられたレヴィナスの非現象学的な顔を通過して、「見られることへの応答」を探る。着地点そのものは真っ当ではあるが、人類学や文学(顔文学といったら当然公房)、矢内原伊作にアウグスト・ザンダーと引用が多彩で面白い。その多彩さがそのまま顔の根源的な多様性への例証にも感じられてくる。
2020/07/21
有沢翔治@文芸同人誌配布中
顔はその人の個性を現し、それによって個人を判別する。しかしその一方で顔は絶えず誰かの視線を前提としている。そう言った意味では表情(顔)は作らなければいけない存在である。つまり個性を表すとともに没個性をも表している両義的な存在なのだ。https://shoji-arisawa.blog.jp/archives/50779156.html
2009/01/12
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