文学の輪郭 (講談社文庫 な 24-1)
文学の輪郭 (講談社文庫 な 24-1) / 感想・レビュー
しゅん
群像評論新人賞受賞作を含む栗本薫=中島梓の最初の一冊。論じられる対象は主に村上龍、埴谷雄高、つかこうへいなど。文学の自律性への不信から、どういう文学を書いていくか。膨大な小説をこの後書くことになる著者の初心声明ともとれる。現実と虚構に区別がなく、虚構にもリアリティが存在するというテーマは、後に東浩紀『動物化するポストモダン』などに引き継がれるもの。書き方は意外と固く、実際のところ「評論」や「文学」の神話めいた部分をこの時点では信じてるんだなと感じたりする。
2019/03/15
kenitirokikuti
本書『文学の輪郭』は栗本薫=中島梓の最初の評論集である。表題作「文学の輪郭」が群像に掲載されたのは1977年、そして翌年に単行本化され、85年に長いあとがき「《ロマン革命》序説」を足して講談社文庫に加えられた。その85年(昭和60年)2月にはグインサーガ第20巻が刊行されている▲映画・新聞・月刊誌の時代から、メディアをテレビが寡占する時代へ。その中にあって、文芸者はいかに活動してゆくのか。栗本・中島が行為(パフォーマンス)重視に見えるのは、当時のテレビの仕組みに規定されてるように思われる。
2018/04/01
Y.Terminator
良い意味で、若くて頭の良い文学部の優等生が書いた文章と思いました。よくぞここまで書いたもので、私にはほとんどついていけません。 良い表現はメモしましたが、ほとんどナナメ読みで、この本を読みきったとはとても言えない状態です。ただ、こういう世界観で語っているんだなぁ、と言うところは伝わってきました。 そしてあとがきが長い!この情熱的なところが私がファンになった由縁と思います。 栗本薫さんはご自身で、自分は文学者ではなく物語作家と書いてましたが、実はドストエフスキーのような文学に憧れていたのかもしれません。
2022/08/21
朝倉光
『文学の輪郭』の論理は明快。まず、「文学」はどのようなものであるかを求めて、村上龍と埴谷雄高のそれぞれの作品から"大まかに"文学らしい領域を枠で囲っていく。次に、テレビの普及によって「現実」から「現実性」が剥離、と同時に現実の存在の虚構性があらわになる流れを説明し、この時に虚構もまた現実と関わるや自律性を失うことを説明する。注意しなければいけないのは文学が自律性を失うのは現実と関わったときであって、文学が自己のうちにとどまって文字を扱ううちは自律性は保たれる、だがそれは同時代性を持たない普遍性であるのであ
2013/01/30
丰
Y-20
2006/03/07
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