桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫 さB 2)
桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫 さB 2) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
日本の近代文学において、かつての古典説話が豊かに持っていたモノガタリを語って見せたのが「地獄変」等に代表される初期の芥川。そして、ある意味でそれを受け継いだのが安吾であり、とりわけ「桜の森の満開の下」、「夜長姫と耳男」、「紫大納言」に煌びやかな結晶を見せてくれる。ちなみに、現代におけるこの分野の継承者は川上弘美であり、小川洋子だ。表題作はとりわけ華麗で、満開の桜の瞬間性と循環性、そして死の持つ一回性と無限性とが一つの小説の中に混在する。というよりも、それらは互いに不即不離の関係として形象されるのである。
2015/04/01
ehirano1
「梟雄」が強く印象に残りました。道三は魔王信長の師匠的存在もしくは疑似メンターではないかと思ったりしています。そういう意味で二人とも終わり方がある意味似ていて何というか、読んでいてカッコイイんですよね。また本稿では彼が革命的な独創者だということを知ることができました。
2018/09/01
らむれ
エゲツナイ話、というのが最初の感想。隠喩たっぷりでいろいろ考えたくなるんだけど、とりあえず降ってくる桜の花びらが美しくて、ぼうっと眺める。女が着飾って美しくなる様に神秘を見出し魅かれる箇所が好き。そうそう、美しいものってホントに不思議で触れてみたくなって自分もその美を作るのに加担したいと思うのよね。果たして男は女に触れていたのか。女は他者と自分を比べて欲望の中で孤独になる状態、男は女の(都の)そういう孤独に気付いてさらに孤独を深めて孤独自身になる。もし二人が触れ合っていたら、こういう結末になったのかしら。
2015/12/04
NAO
「桜の森の満開の下」山賊の心の中に住む、孤独という鬼。満開の桜に誘発される孤独。孤独を恐れるあまり女たちを求めた山賊も、自分が孤独を恐れなくなってしまったとたん女など必要なくなってしまい、女は鬼となる。山賊は、桜の花に魅せられたあまり、桜の花と同化してしまったのだろうか。「夜長姫と耳男」強い思いを込めて彫られたものは、どんなに醜くても他人の心を打つ真の芸術となる。だが、どんなに美しくても、思いが籠らないものはただの駄作でしかない。夜長姫は、耳男を真の芸術家にするために遣わされた芸術の化身だったのだろうか。
2017/04/09
YM
少しずつ安吾先生を読み進めています。本書は初めて読みましたが、昨日から何回読んだでしょう。妖艶でグロテスクな作品世界の虜になっています。色んな立場に自分を置いてみると見える景色が変わります。何と言いますか、人生の縮図のように感じられます。目の前の事に夢中になり、何かを得るために、大切なものを失なう。それを繰り返してるうちに自分では無くなるような感覚。段々虚しくなってくる。あれ、何してんだろ?と思うことが良くあるのです。からっぽなんです。気付いた時はもう遅い。でも魅せらてしまうんです。桜が満開なんですもん。
2014/11/07
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