風流尸解記 (講談社文芸文庫 かD 1)
風流尸解記 (講談社文芸文庫 かD 1) / 感想・レビュー
syaori
金子光晴の全小説を網羅した一冊。『獲麟』や『心猿』等のとぼけた味のある作品も好みですが、表題作が印象に残りました。戦前戦後、新旧の価値観が混ざり合う終戦直後の日本を舞台に、盲目の少女と「いろごと」の風流を重ねた男の、悪夢の中を彷徨うような「地獄廻り」が語られます。描かれるのは、男女の業や「ふるい生活を弊履のごとく」捨て去る「人間どもの、もののあわれ」。人の、池泥のような醜さや哀しさで、それがひどく美しいように思うのは、作者の言うとおり「やさしさも、あえかさも」そこから生まれるものだからなのかもしれません。
2020/01/24
メタボン
☆☆☆☆ 流石金子光晴。小説になってもその文章の凄まじさ、美しさは全く変わらない。特に印象に残ったのは、醜女とのやり取りが良い「姫鬼」、自分が犯した殺人はあったことなのか、これから起きるのか、現実なのか夢なのかわからない「樹懶」。
2019/01/05
三柴ゆよし
収録作のほとんどが、終戦間もない焼け野原の東京を舞台にした、その日暮らしの中年男とメンヘラ女子との恋愛を描いたもの。金子光晴の小説は、本書一冊を以て網羅されているらしいので、お得だ。表題作「風流尸解記」は、最も後に書かれた作品で、小説の結構としては不覊奔放、率直に言って破綻している。疎開先に妻子を残した五十男が、盲目のちょっと頭の狂った女の子と終戦直後の東京をふらふらとあそび歩き、情事にふけり、なんとなく面倒になったところをせがまれて少女を殺すが、床屋で知り合った赤鬼青鬼の仙術によって何度でもよみがえる。
2016/02/29
sedentary
みんな、心の中で人を殺めながら生きているのかもしれない。「双つの貝釦がピンと弾いて、死んだ。まぶたのうえに、墓が乗りかかる。」(『風流尸解記』p.11)ぴしっと陶冶された表現がこころよい。詩人にしかできない凍えつ焦げた言葉が、途絶えそうになりながらしぶとく連ねられていく。『樹懶(なまけもの)』では、打って変わって皮肉に富んだまろやかさがひょっこりと垣間見える。とどまっているようで、たしかに移ろっていく、むしろ移ろわざるをえない人生を、それなりに享受していくしかない、毒気を帯びた諦めがかえって清らかに映った
2014/11/29
勝浩1958
金子氏の日本語を自在に操り、妖艶な世界や幻想的な世界を描き出す手腕にいつも感服する次第です。日本語の持つ美しさや表現の可能性を自覚させられます。「赦免状が三分おくれたために 胴から首が離れた例もある。 ましてや、七日間と言えば なにごとがあっても不思議はない。」このようなフレーズを私も吐いてみたい。
2013/12/21
感想・レビューをもっと見る