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マチウ書試論・転向論 (講談社文芸文庫 よB 2)

マチウ書試論・転向論 (講談社文芸文庫 よB 2)

マチウ書試論・転向論 (講談社文芸文庫 よB 2)

作家
吉本隆明
月村 敏行
出版社
講談社
発売日
1990-10-03
ISBN
9784061961012
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マチウ書試論・転向論 (講談社文芸文庫 よB 2) / 感想・レビュー

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ころこ

『マチウ書試論』-ドストエフスキーのところまできて、色々調べてみました。すると、マチウとはマタイのことで、ジェジュとはイエス、ジャンとはヨハネのことだというじゃないですか。そこまで原始キリスト教の何かに関わる文書だと思って読んできましたが、迷宮は殆どスタートの位置と変わらないところに出口があった。だまされた~とも思いましたが、固定観念に囚われず、その聖典を曇りのない眼で読む批評的な態度を試されていると文意を理解することもできます。全く知らない者へこそ、優れた読書体験が贈与される不思議な文章です。

2019/05/07

しゅん

十数年ぶりの再読。3つの詩と10の批評を収めた初期選集は、そのまどろっこしい書き方の中に、構造への着目を宿す。泥沼の戦争を可能にした日本社会秩序は侮り難く、封建制と近代化が互いを支え合う構造を読み解かない限り、詩人も文学者も転向者も力を持たない。感情を構造と重ねて捉えること。それが、吉本が中野重治やマチウ(マタイ)書を論じるときの方法であり、詩を書き始めるための支点ではないか。「関係の絶対性」とは、すなわち構造化した感情のことではないかと思われる。

2022/04/18

かふ

吉本隆明の初期評論集。「エリアンの手記と詩」はなんかセンチメンタルで恥ずかしくなるのだが吉本隆明も最初は青かった(初々しいとも)。「マチウ書試論」も「マタイ伝」をフランス語読みで書く理由が衒学的でよくわからない。ただフィクション性という「でっち上げ」の宗教論。第二章がドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」でのイエスと悪魔の対話を論じ、イエスが取った立場の絶対的な信仰(神の秘跡を許さない、それは神を試すことになるから)とニーチェの『善悪の彼岸』(奴隷の宗教)との相対化。

2020/08/05

oz

再読。吉本はマチウ書は聖典と呼ぶには意識的(文学的)すぎると言う。事実福音書はユダヤ教に反逆する為に編まれた聖典で、同じ神を信じつつ相容れない二つの宗教の、アンビヴァレンスな結束点としてイエスは描かれる(当然、ユダはユダヤ教の暗喩である)。マチウ書の分析を通じて吉本は「思想」が生じる可能性があるとするならばそれは「関係の絶対性」の中であると結論付けた。そこは関係が変化すれば思想もまた変化する相対的な世界で、その世界に如何にして絶対性をもう一度呼びこむのかが文学の課題なのだ。

2012/05/13

なっぢ@断捨離実行中

『マチウ書試論』以外は流し読みで読了。正直読むのしんどかった。高度成長期という情況下で書かれたものであることを差し引いても、これならロレンス『黙示録論』で間に合うだろう。大衆の生活と解離した前衛への批判も70年頃には有効性を失い、ファッション誌の紙面を飾る80年代にはすでに時代遅れの老害として嘲笑の的だったわけで、古き良き時代を懐かしむ以上のものではない。もっとも『前田敦子はキリストを~』なる愚書で保守反動気取りの現状追認は今も反復されてるので完全に古びているわけでもないが。……あ、詩人吉本は好きです。

2017/01/09

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