父の帽子 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
父の帽子 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) / 感想・レビュー
chimako
「森鴎外のDNA恐るべし」微に入り細を穿つ、省略を良しとしない細やかな描写。頭をよぎる幼い日の思い出を執拗に語らずにはおれない気性。父にも母にも愛された。父の愛は大きく深く「お茉莉は何をやっても上等だ」と全てを包み込んだ。森茉莉にとっては父のもとで暮らした16年が人生の全てで、その後の二度の結婚生活が破綻したのもなるべくしてなった感がある。料理の他の家事は省みず、子育てさえ使用人任せのお嬢様気質。明治時代の富裕層の暮らしがこれでもかと綴られ、読んでいるこちらがくたびれるほど。初期の短い文章が良かった。
2020/10/27
U
ひとまず表題作のみ読了。長女茉莉らしく、帽子というおしゃれ視点からの父の描写が、次女杏奴とは異なる感覚で面白い。杏奴は著書『晩年の父』より、静かでいつも優しい父を愛した気持ちが伝わるが、茉莉は逆に、帽子を買う時のようにつまらない事に怒る父が、ひどく大好きだったという。「お茉莉」と「アンヌコ」の違い、興味深い。
2015/11/13
こばまり
【再読】こんなに面白かったっけと思いました。特に父・鷗外の“心の底の塊”について触れた、お終いの二編です。私にとって森鷗外は、おまりが愛するパッパであり、高木兼寛と脚気論争を繰り広げた頑迷な医師といった印象が強いので、遅ればせながら文豪としての仕事に触れねばと思った次第です。
2014/12/27
ユメ
茉莉がパッパ鷗外のことを回想する文章は、紅い硝子や薔薇のことを綴る文章に負けず劣らず美しいと思う。「私には父が、学問や芸術に対して、山の頂を極める人のような、きれいな熱情を持っていた人のように見えた」本書の冒頭で、茉莉は帽子屋の無礼な店員に腹を立てる鷗外を書いたエッセイに「小さな怒り」とタイトルをつけ、続く仮名遣いの間違いを目の敵にする鷗外を書いたエッセイのタイトルを「大きな怒り」とした。このことからでも、茉莉が鷗外をどれほど尊敬していたかがわかる。森茉莉という作家は、鷗外という神様によって生まれたのだ。
2018/05/25
りりす
読み辛いけど美しい文章を書くひと。父・鴎外の短編「半日」の裏で、勝気な母と、嫁に来た母に一歩も譲らず采配を振るう祖母の様子を見ていた茉莉。「半日」では悪妻のように書かれているために分からない母の悲哀を、女同士ということなのか、彼女は捉えている。そこにはなんとなく諦めつつも父を非難するようなきらいも、感じないでもなかった。思索し、鴎外との齟齬に苦しむ言葉に、ただ溺愛されてぼんやり育ったわけではない森茉莉が見える。彼女のエッセイの中でも特に良かった。
2016/02/10
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