五勺の酒,萩のもんかきや (講談社文芸文庫 なB 4)
五勺の酒,萩のもんかきや (講談社文芸文庫 なB 4) / 感想・レビュー
hatohebi
中野重治の作品は今どのような読者に届いているのだろうか。最近本書と内容の一部重なる『歌のわかれ・五勺の酒』が中公文庫から出た。きっと出版社はそれなりに採算が取れると考えてのことだろう。プロレタリア文学運動に携わり、検挙後転向して出獄、日本文学報国会に入会を希望し、戦後共産党に再入党して参議院議員となるが、党内対立のため除名された。時代情勢の影響を深く被った屈曲した生涯であり、所謂メジャーな文豪がそうであるように、無党派的な脱色されたものとしては扱えない作品である。
2022/02/05
ミスター
『五勺の酒』がめちゃくちゃ良い。これは天皇賛美というよりも多木浩二的なメディアとしての天皇を取り扱ったテキストである。女の足にあるアザがどうのこうのという部分があるが、天皇とはまさしくそういうものである。無自覚、無意識のうちから出てくる恥ずかしい恥部こそ天皇にほかならない。そして恥部とは言うまでもなくフェテシズムの対象であろう。中野重治にあっては「遅れている」日本の臣民的な部分は取り除くべきものであると同時にフェテシズムの対象だったのである。であるからこそフェテシズムを理解しない学生に対して批判している。
2020/07/03
e.s.
「五勺の酒」の天皇は、メディアを通して、話者に「恥ずかしさ」を覚えさせる者として表象される。絵ハガキや写真、ニュース映画に現れる昭和天皇は、自らの身体・身振りの卑小さに対して自意識をもたない存在であり、身体を損傷した帰還兵が自らの姿を隠そうとするのとは対照的である。話者にとって、こうした天皇の姿は、「恥ずかしさ」とともに「同情」をも感じさせる。メディアの天皇とそれへの「同情」とは、戦後「大衆天皇制」一側面ではないか。ただ、これは、中野においては「村の家」以降の奇妙な日本回帰に通底している事態である。
2015/09/24
カンザシ
五勺の酒についてのみ言及。元教育者(おそらく校長)の男が酔いながら話しているという体で語られる戦後小説。戦争ムードが高まる中、本心に反して子供たちを戦場に送り出す教育をせざるを得なかった苦しみは計り知れない。恥ずかしながら五勺の酒を読むまで私は天皇制に疑問を抱いたことがなかった。だが確かに考えてみればこの国で天皇ほど人権を剥奪されている人間もいないのではないか。現在の天皇に関わるニュースや菊のタブーを見ると今まさに多くの人間に読んでほしい作品であると切実に思う。
2021/07/19
にゃら
面白い。プロレタリア文学というジャンルの作家にするべきではないように思いました。 「第三班長と木島一等兵」がお気に入り。
2017/02/19
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