街と村,生物祭,イカルス失墜 (講談社文芸文庫 いD 1)
街と村,生物祭,イカルス失墜 (講談社文芸文庫 いD 1) / 感想・レビュー
ヨコツ
伊藤整!すごいぞ!彼は詩人でも翻訳家でも評論家でもあったスーパーひとし君なのだけれど、なるほど本書の作品もその能力を遺憾なく発揮した小説達で、詩的な抒情、日本文学らしからぬ奇想、精緻に造り込まれた構成と彩り豊かな楽しみ方が出来る傑作ばかりだ。惜しむらくはそれなりに有名であったはずの彼の著書がことごとく絶版であるということ。ぶっ飛んだ海外文学が翻訳され、それなりに売れている現代でこそその魅力を理解されるであろう彼の作品を、僕はもっともっと読みたい。
2015/06/07
YO)))
巻頭,「街と村」,恐るべき小説であった.出だし,私小説かと思って読み進めると,いきなりの超展開に面食らい,そこから一気に,魔境と化した小樽の街に飲み込まれていく.そして,観念と幻想と物語と詩情とのあまりにも滑らかで見事な交錯に酔いしれる.暗鬱な基調のため確実に悪酔いではあるが…. 嗅覚にフォーカスして,過去への悔恨と,現在(或いは未来)の苦悩とがすべて,花の香りから発し,またそこへ収斂していくように描かれた「アカシアの匂について」も良い.
2012/12/06
きつね
風邪で寝込んだ浅い眠りのきれぎれの覚醒のなかでてすさびに読んでいたら自分の悪夢と混ざり合って、他人のものとは思えなくなってしまった。『街と村』は小樽を舞台に、一度は捨てた郷里にふと立ち寄った主人公が記憶のなかを訪ね歩き、自意識を嘔吐しては反芻し、やがては彼の自意識ごとテキスト自体なんだかよくわからなくなっていく。カモメになっちゃうし。のっけから小林多喜二と空を飛んだり、芥川龍之介とカッパアカデミーの行進を監視したり、地獄とか瓜子姫とかもうわけがわからない。人に薦めたい本ではないが、こっそり再読したい。
2013/05/26
AR読書記録
ブンガクにおける自意識過剰の問題っつうのはなー。読み手も同じような人たちのあいだで成り立っていた部分も大きいのかなーとかな。男が昔の女(妄想含む)のことでうじうじぐだぐだ考えてるあいだにも、現実の女は後ろ指さされながらでも自力で、あるいは周囲の圧力で否やを言わせぬうちに、社会のなかで生活していくことを余儀なくされてんだぜ。...というあたりがどうも気になってしょうがないので、ちょっとこの時代の女流文学とか、女性に共感のある作品とかがないか探したい。男目線と女目線がちょうどすりあわされるのはどのへんか。
2014/11/24
大傑作ではあるが、伊藤整という小説家がこれほど尖っていたのか、あるいはこれほど変な小説を書いていたのかということに驚きを覚える。幻想と記憶が混じり合って、不穏に共鳴し合う。例えば、現実/幻想、生/死、過去/現在のその境界が果たして自明なものなのか。むしろ、自意識というひとつの現実を突き詰めてゆくと、このような魔境に到達せざるを得ないのではないか。何はともあれ今でも読まれるべき作品であるだろう。
2016/05/29
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