近代日本の批評3 明治・大正篇: 明治・大正篇 (講談社文芸文庫 かB 6)
近代日本の批評3 明治・大正篇: 明治・大正篇 (講談社文芸文庫 かB 6) / 感想・レビュー
ころこ
本書は昭和編に繋がるのみならず、遡れば坪内逍遥、小林秀雄が参照した本居宣長をはじめとした江戸時代の学問系譜に繋がります。ところが、座談会の中心である柄谷の認識は、世界史からみた近代日本の批評という視座です。マルクス主義が有効だった時代に、下部構造が規定している歴史観と、翻訳と言文一致の問題から立ち現れてくる批評の言葉を検討するとすれば、ナショナリズムを論点にせざるを得ないという、一見、奇妙な事態になります。本書は、批評史の本の割には、批評の言葉が無い時代の共通言語として、政治の話ばかりしています。大正期は
2018/04/02
しゅん
この明治・大正篇が一番面白い。それは「明治のダイナミズムと大正の無風状態が昭和において反復される」という本企画全般の見通しがつまびらかにされるからだ。同時に、キリスト教と天皇と帝国主義と社会主義とアナーキズムが時代の中で縺れあいする時代の複雑な様相が興味深く、大正デモクラシーが後の軍国化を用意するなどの逆説が語られたり、言文一致運動が政治の問題として捉えられたりする。単純に私の知らないことが多くて面白かったというのもあるが、卓見が多く見られる座談であるのは確か。和歌の物語性に対する俳句の切断性とか。
2018/01/15
amanon
ある程度明治大正の文学作品を読んできたつもりだが、それでも本書に殆ど見たことがない人物名が頻出するのに、自分の不勉強ぶりに改めて恥じ入った次第。それはともかくとして、戦前、戦後、そして明治大正と本シリーズを読み進めてきて、色々な意味で文学及び評論の位置づけが変わってきたということに驚かされる。明治の言文一致運動なんて、今の時代の人からすれば殆ど信じられない現象ではないか?そして文学とキリスト教やマルクス主義、それにヒューマニズムとの関係が真剣に論じられた時代から遠く隔たった現在をどう位置づけるか?
2016/03/11
ぷほは
確か「1」で蓮實重彦が全体的に概括する小論を書いてたので、じゃあ明治・大正は読まんでいいや~と放置し10数年。こういう座談会本は久しぶり。話題や固有名詞が冗談抜きで一行ごとに飛んでいくので追いかけるのが大変、ていうかそれは諦めて各論者の拘りやバッサリ切り捨てる冷酷さの角度を楽しむ読み方がいい。大正は「標語の時代」という蓮實の議論はそれを言っちゃあおしめえよ感もあるものの、確かに頷くことも多く、あの具体性の乏しい抽象的な空回り感は何だろうとずっと感じていた疑問が解けた。柳田・折口を評価しすぎな気もするが。
2021/11/08
bittersweet symphony
ポストモダニズム的な切り口から見た近代日本の批評史という事になるのだけれど、どこが生きていてどこが死んでいるのかが解らないのが辛いところ。討論のあったその時代の彼らのドキュメントとしての意味はあるように見えるが、通時的になにがしかの評価軸として我々が援用できる部分は彼ら独自の観点ではないものが多いように思える。
2020/10/12
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