猿のこしかけ (講談社文芸文庫 こF 6)
猿のこしかけ (講談社文芸文庫 こF 6) / 感想・レビュー
YO)))
冒頭の「平ったい期間」がとても良かった。離婚して出戻った娘へ、父からの取材とも調査ともつかぬお願いごと。真面目半分、時間潰し半分のうちに曖昧に終わってしまったことのうちに、受けきれていない父の思いもあったのではないかと振り返り、今となっては確かめられない切なさを思う。そういうことは、誰の人生にも、いくらもあるだろう。
2016/12/11
amanon
巻頭のエッセイのタイトルが「平ったい期間」…この一見何でもない、でも常人には及びもつかない卓越した言語感覚が、本書の本質の一端を表している。また、他のエッセイのそれも何がしかキラリと光るものをたたえているのも驚き。個人的にとりわけ印象深かったのは、最後の「捨てた男のよさ」。勝手な推測だが、それ程豊かな男性遍歴に持ち主とは思えない著者が、あえてこのテーマのエッセイを書いたという事実に何かいわく言いがたい重さを覚える。それと印象的だったのが、他の著作でも垣間見られる著者と父親との関係。露伴の言葉が深く重い。
2018/03/04
いくっち@読書リハビリ中
幸田家フェスその1:東京にはもうないであろう消えてしまった物。だが消えてしまっても惜しくはない、きたない菌(きのこ)・猿のこしかけ。露伴が亡くなって10年後に書いた娘時代を思い出しての一冊。大正・昭和初期の向島を頭の隅で想像しながら随筆を読む。前半の「猿のこしかけ」からは以下がよい。「船内屋さん」「栗の頃」「十二月」後半の「旅がえり」からは好みにあったらしく自分にピタっとはまった。続く
2009/12/31
貧家ピー
昭和30年頃に、昔の良さが無くなったとの記載があり、面白い。いつの時代も、言うことは同じということか。 「捨てた男のよさ」の結びの一文が素敵。
2006/10/16
ダイキ
どうしてそんなことまで見ているのだろうと思うほど、見て、見て、見て、悲しみ、寂しみ、懐かしんでいる。ことごとに心うごかされつつも、決して脆弱にはならず、砕けることなく、内向に夢遊することのない視線、それはやはり芯の通ったしたたかさなくしてはかなわいものであった。「雑文をかきはじめてから、あんまりいろんなことがみんなわからなくなって困っている」というのだから、やはりこわい人だと思う。他に触れている人はいないが、『栗の頃』は中々エロティックな一篇ではないだろうか。それもまた、寂しさや懐かしさに包まれたものだ。
2024/10/31
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