なにもしてない
なにもしてない / 感想・レビュー
Foufou
語り手は右手の腫れを素人治療で悪化させていく。病院へ行けばいいものを、引きこもりだからそうはいかない。痛みが存在の中心となり、それをめぐる思考の堂々巡りにこちらも息苦しくなる。おりしも先の天皇即位の儀と時期は重なって、フィクショナルなものでしかなかった天皇制が、伊勢に育ち、全力で引きこもるために作家となり、他者を拒絶し、子を成さない女の私にリアルなものとして電撃的に直結する。妄想もここまで徹底すれば唯一無二の才能として評価されるということか。確かにシン・私小説とでも呼びたくなるような地平が広がっている。
2024/05/07
kenitirokikuti
図書館にて。1991年刊行の笙野頼子の第一単行本。文庫などではなく、当時のものなので、巻末の講談社文芸作品の広告ページに懐かしさを感じた。91年だと、私は講談社ノベルスなどの新本格ミステリ読みになっていたっけ。さて、表題作のおしまいのところに、文藝誌を読んだら大塚英志の純文学は売れないエッセイがあってムカっとするシーンがある。笙野は後々までルサンチマンを発するそれである。振り返ると、当時の大塚は角川お家騒動でいろいろある直前だなぁ。笙野はそっちの方には触れていない。単純に視界の外の出来事だったのかな。
2023/06/13
hirayama46
手の皮膚の具合が悪化したけれど、病院に行く気持ちになれない「私」の心境を淡々と語った表題作と、生まれ故郷であるイセ市のことを考えることから始まる「イセ市、ハルチ」を併録。いままでに読んだ笙野頼子作品の感覚では怒りや虚無感といった負のエネルギーを推進力にしている印象でしたが、本書はわりに落ち着いていました。まだ本にはなっていないもののいくつかの作品が雑誌掲載されたことからひとつの山を越えた状況だったのかもしれません。
2023/06/29
もっさん
手に湿疹ができてボロボロになるものの、面倒だったり、世間の目を気にして医者に行かず、どんどん酷い事になっていく女性の話。意味不明だった。読みにくい。母親ウザすぎ
2011/07/28
いくすけ
天勝と再会してびっくり
2009/04/28
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