言い難き嘆きもて
言い難き嘆きもて / 感想・レビュー
ヴェネツィア
'01年頃までの5年間に、読売新聞や朝日新聞に連載されていたエッセイをまとめたもの。ここでは、大江に特有の韜晦な文体は用いられておらず、表現そのものはいたって平易である。ただし、内容的には沖縄をめぐる問題に相当なページ数が割かれているように、深刻かつ同時代的である。もっとも、作家自身はプリンストンに長期滞在していたりと、比較的余裕のある状態にあった。一方では、芸術上の盟友であった武満徹と、岳ちゃんこと伊丹十三、そして井上ひさしのそれぞれの死をも経験しなければならなかった。大江はは静かに晩年に向かうようだ。
2015/05/05
寛生
まさに大江が自身の魂を奮い起たせて書いたエッセイ集。タイトルの「言い難き嘆きもて」とは、新約のローマ書から引用されたものだとは、実際にこの本を読むまで気づかなかった。「信仰を持たない」大江が、ここに、祈りとはなにか、魂とは何か、と、書き連ねていくとき、やはり、そこには何か、「新しい人」へ、大江自身がどんな暗い中、鬱的な状況にあっても、かわり続けていこうという決意にみち、その言葉はとても力強い。ここには、狭いキリスト教会の言語体制を超えた、祈りがある。
2013/05/12
amanon
本書が出て早十数年。その間に起こったことを大江はどう見ているのだろう?ということが今更ながらに気になる。そしてこの時点で自分を晩年者と自認していた大江が今の自分をどう捉えているのだろうか?と。本書で幾度となく言及される武満徹と伊丹十三の他、これまでに幾多の盟友の死を目の当たりにしてきた筈。その死が自分にも確実に忍び寄ってくるという事実、そして何より最早初老を目前に控えた息子光の行く末。他人事とはいえ、長らくこの二人の姿を作品を通して見てきた者としては、知らずにおれない。また武満と光の音楽に新たな興味が。
2018/09/05
風に吹かれて
1996年から2000年の五年間のエッセイなどをまとめたもの。特に感銘を受けたのは武満徹について書かれたもの。死に際しても音楽への希求をやめなかった武満徹の死後、大江氏は小説を再開したのだけれど、『武満徹のエラボレーション』と題したタケミツメモリアルでもある東京オペラシティコンサートホールでの講演が特に印象に残った。「私は音楽の形は祈りの形式に集約されるものだと信じている」(P233)(武満の言葉からの引用)。武満徹作曲の音楽を聴いてみたくなりました。
2015/05/03
たけし
古本屋で表紙になかなかのインパクトを受けて買った。帯のない本の顔には時々やられる。タイトル通り、本の基調は暗い。しかし、わりと落ち着いた暗さで、むしろ落ち着く。著者の友人である武満徹や丸山眞男などの死のこと、沖縄再訪のことが中心を占めるので、当然そうなる。しかし、そこから希望の思考、著者の場合は書くことを見出す、というふうな短文がずっと続いていく。時には良い読書体験をもたらしてくれる本かなと思った。
2023/01/24
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