長田弘・いわさきちひろ詩画集 肩車
長田弘・いわさきちひろ詩画集 肩車 / 感想・レビュー
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肩車って誰しも一度は経験したことがあるのではないでしょうか。長田弘さんの詩といわさきちひろさんの絵を見ていると、その過去の記憶にリンクしていきます。もう忘れていたはずなのに、子どもの頃の父親に肩車をしてもらった頃のあの跳ね上がるような喜びの体験が再現されるのです。あぁ、そうだった。あの超越したような視点、普段見ることができない光景を眺めるという体験は子どもながらに優越感をもっていたんだということをありありと思い出すことができました。未知の体験をさせることは大人の役割でもあるんだろうなぁ。
2016/05/03
けんとまん1007
敬愛する長田弘さんと、いわさきちひろさんのコラボレーション。思わず、図書館で予約し、ようやく手に取った。肩車。さすがに、してもらった記憶はない。あるのは、子どもたちが小さい時に、肩車をした記憶。ボランティアで、小さな子どもたちを肩車した記憶。子どもたちは、大喜びで、こちらまで嬉しくなったことを想い出した。そんな肩車に関する長田弘さんの想い出と、ちひろさんの絵がマッチして、こころが満たされる。
2020/11/21
ちえ
子供の長田さんがしてもらったお父さんの肩車からの世界。私も懐かしく思い出す。〈ありふれた小さなこと。なにげない日々のしぐさ。ふるまい。感覚の切れっぱし。そうした幾つかの印象の断片が、けれども、おおきくなればなるほどにいっそう確かになり、動かせないものになる。そのことがどきどきひどく怖ろしいことのように感じられる。一人の感受性の形を決定的にするのは、大仰な出来事なんかじゃない。ありふれた何でもない日々の出来事が、思わず語り出すような言葉。その言葉をどのように聴き撮ったか、ということなのだ。〉泣きそうになる。
2020/11/01
lonesome
長田弘さんの「肩車」という詩に、いわさきちひろさんの絵を添えた詩画集。そういえば、長田さんの詩には、静寂や静けさというものがよく出てくる。その静けさの空間は、決して寂しさなどではなく、優しさを感じられ、その懐かしさがいわさきちひろさんの作品ととてもよく合っている。詩にもあるように、「ありふれた何でもない日々の出来事が、思わず語りだすような言葉」からどんな言葉を聴きたとったか、それこそがひとにとってのそれぞれの生き方になるんだなと思う。
2014/05/11
なつ
2018年に読んだ時は長田さんの言葉が心に残った。それから4年。今回はちひろさんの水彩画が沁み渡る。各頁の絵を見る度に思い出す幼い頃の記憶と思い出。父と手を繋いで一緒に出た運動会の競技あれこれ。母が見守る中、法被姿で担いだ子供神輿。二人が居てくれたからこその幸福。同時に、必要不可欠だったもう1つの世界。広い校庭や遊具がたくさんある公園、大きな樹だけがある何もない草原。そこで遊ぶことが『生きる』ことだった。男も女もなく、みんな一緒、みんな友達、みんな仲間、だったあの頃。愛おしくかけがえのない子供だけの世界。
2022/12/16
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