戦争の世紀を超えて: その場所で語られるべき戦争の記憶がある
戦争の世紀を超えて: その場所で語られるべき戦争の記憶がある / 感想・レビュー
カザリ
内容はホラー(虐殺がなぜ起きるのかさぐっている)で、ジャンルはSF,そして、文学というざっくりした印象を持つ本。以前にも森達也さんの本を読んだけれど、どうもしゃべりながら思考を深くする方で、まどろっこしい。それもそのはずで、自分の言葉と思考を進行形でさぐっていくから、冗長になり、こちらも混乱する。しかし、だいたいにおいて言葉にならない問題を言葉にするという文学やSFが担ってきたテーマを体現しているからなのだろう。その意味で、刺激的だが、もう少しまとまりがほしいところ。
2016/08/24
James Hayashi
ホロコースト、スターリンの粛清、中国の文明革命、ポルポト、ルワンダの内戦。全て百万人以上の犠牲者を出している。これに2度の世界大戦を加えると、いかに20世紀が殺戮の世紀だったかわかる。2人の対談であるが、各地を旅行し戦争を返り見る。
2019/11/16
彩也
二十世紀の戦争の記憶を止める場所を訪問し、場の力を借りつつ戦争について思い巡らせた対談。あくまで思考の記録なので、想像や推定の連続。学問的な裏づけの有無も不明。四章のアメリカに対しての諸々は、妄想に近いのではないかと思えるし。とはいえ、被害/被虐ではなく、加害/加虐についての記憶や思考も重要だというのは確か。我々は「被害者になる」ことは想像しても、「加害者になる」ことは想像しない。加害者になる可能性だってあるのに。主義主張はともかくとして、読んでいて重苦しい気分になる。あるのは、『虐殺器官』の未来なのか。
2011/03/16
なおこっか
アウシュヴィッツを訪ねてから、7歳の甥に「どうしてユダヤの人にそんなひどいことをしたんだろう」と訊かれてから、ずっと、どうしてだろうと考えている。その「どうして」を、森達也と姜尚中が一緒に考えてくれる様な本。被虐の側からだけでなく、加害者側から考えないと暴力は繰り返される、と訴えつづける森達也のことは信頼している。加藤周一の言う、奴隷の平和に甘んじるか、との問いへの答えは、少なくともNOだ。それ以外の答えは、まだ出ない。
2016/02/07
おたきたお
対談集。論理派の姜に直観派の森がゴリゴリ押し込んでいくところが印象的。それでも森の言う「麻痺」が戦争のエネルギーなのか。さらなる本質があるような気がする。過去の歴史を振り返る際、その時その場でないと理解できないこともあるだろう。それを共感し実感するには徹底した想像力で拾いきる必要があるが、そこまで人間が進化できるだろうか。子供を戦争・虐殺・粛清の手先に使うことの残虐さへの指摘は『カラシニコフ』の主題でもある。本文中の写真がもう少しよい写真だったらよかったのにと思う(まるで記念撮影)。表紙の写真はGood。
2006/01/01
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