殺された側の論理 -犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」
殺された側の論理 -犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」 / 感想・レビュー
Ted
凶悪犯に反省だの謝罪だの償いだのを求めること自体が無意味。そんな殊勝な心掛けができる連中など殆どいない。だからこそ国が死刑という制度で、被害者と遺族に代り「命を以て償わせる」のではないか。それがどうして「生きて償う」などという倒錯した論理になるのか?なぜ被害者の人権や遺族のケアよりも(お座なりでよい)加害者の「人権」ばかりが不当に尊重されるのか?それは刑事裁判が「被害者の救済」ではなく「加害者の更生」を軸に展開されているからだという。こんな欠陥だらけの司法制度では、凶悪犯にマトモな裁きなど下るわけがない。
2010/08/04
さとまみ読書垢2(小説・その他専用)
修復的司法システムについては考えさせられた。
2010/11/02
Humbaba
基本的に一人を殺しただけでは、それが明確な殺意を持って行ったとしても15年程度で出所する。無論、15年という時間は短なものでない。しかし、殺されてしまった人間は、その後の人生すべてを失ったのである。遺族にとっての哀しみや憤りは非常に深く、しかも2次被害を被る可能性も少なくない。
2013/12/31
すうさん
猟奇殺人関連の本、それと同時に死刑関連の本も沢山読んだ。人間の闇の部分を知りたかったからだ。加害者の殺人者の心の闇は理解しえない部分が多いが、この本で書かれた犯罪被害者、遺族の気持ちは本当に同感できる。もしこれが自分の身に周りに起きていたらと思うとぞっとする。光市の母子殺害事件の本を読んだ時にも、同じような感情を持ったが、この国の片手落ちの法整備の実態やマスコミの被害者への配慮のなさがよくわかった。確かに冤罪事件は存在しているのだろうが、この本を読んだ後では、簡単に死刑廃止とは言えないと思った。
2015/07/28
新橋九段
被害者家族側から書かれたルポなので偏るのは仕方がないとしても、これをもとに制度そのものを論じるのはかなり危険だろう。取材ノートで描かれた遺族の認識には基本的な誤りが多いし。
2018/01/24
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