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東北の震災と想像力: われわれは何を負わされたのか

東北の震災と想像力: われわれは何を負わされたのか

東北の震災と想像力: われわれは何を負わされたのか

作家
鷲田清一
赤坂憲雄
出版社
講談社
発売日
2012-03-01
ISBN
9784062175326
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東北の震災と想像力: われわれは何を負わされたのか / 感想・レビュー

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寛生

語っていくこと、あきらめず、忍耐をもって言葉を待つということ。参議院選挙で圧勝した自民党の議員が、放射能はそんなに人間の体に影響はないというようなことをテレビで平気で言いはなる時勢のなか、日本全国にある54の原子炉を廃棄にし、それを世界に向けて民主主義国家として責任をもって、そういう言葉を輸出できるようにと、赤坂氏は訴える。赤坂氏のあつーい情熱が伝わってくる。

2013/08/01

寛生

赤坂氏があとがきにも記すように、鷲田先生のことばは、まさにその「繊細な感触」で溢れているし、何よりも彼のことばは生きている「なまもの」のような感じさえする。私たち一人ひとり、また共同体としても考えないといけない「責任」ではあるが、しかし、その「責任論」についての具体的な議論、対話を、もう少し哲学的な観点から煮詰めて欲しかったという感想を持つ。ふと、レヴィナスについても思いをめぐらしている。宗教、祈りのかたちについてもかんがえさせられた。それと、赤坂氏が言及している《p。77-78》「やわらかく壊れる」とい

2013/01/20

けんとまん1007

今年の1冊目はこれに決めていた。深く考えざるを得ない視点がたくさんちりばめられている。と言うことは、読み手のよって、そのとらえ方がかなり違うのだろうと思う。この国の危うさがますます大きくなっている今だからこそ、必要なことがある。言い尽くされたこともある・・責任を取らないという志向が蔓延っている。政治屋、官僚、財界、マスコミはもとより、最近は自分の身近なところでも溢れつつある。果たして自分に何ができるのか?そんな中、伊東豊雄さんの”みんなの家”がひとつの方向性なんだろうと思う。素で感じることだ。

2014/01/02

壱萬参仟縁

原発事故は無責任。東大話法もそうした実態の暗部で亡霊の如く長年機能してきた。それが今後も続くわけがない。米国は東電を訴えたわけで、TPPの試金石となる。米軍には思いやり予算を毎年何千億円と支給し続けてきたわけで、こうした金を被災地に、生活保護者に支給すべきと思える。責任をとらない構造(164ページ~)。無責任が人災を招いている。想像力のない、モラルのない人が増えて、エゴイスト集団で絆が欺瞞的虚偽となっているようでは、社会の意味はない。福祉のいみもない。福祉社会ではない。日本人のアメリカ人化がダメ日本の素。

2012/12/29

takao

ふむ

2020/03/07

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