純粋異性批判 女は理性を有するのか?
純粋異性批判 女は理性を有するのか? / 感想・レビュー
ヒデミン@もも
中島義道さんの哲学は面白い。面白いが難しい。 結局、哲学って文化が成熟しないと生まれないもの。インドやナイジェリアの男性に伝えてほしい。女性の哲学者って少数なんだ。気が付かなかった。自分が倫理や哲学が好きだったから。哲学するのは好きでも学問にするのが苦手なんだねきっと。
2014/05/17
D21 レム
「知的負担」が大きい本だった。最初のほうは「女は非理性的判断に埋没する」「女がほしいものはただひとつ、これと決めた男によって死ぬまで愛され保護されること」「女は真実よりも幸福に見えることを求める」等々、読みやすい?!のだが…、だんだんと哲学書そのものになり、カントの『純粋理性批判』を世の中にひろめるために、おもしろい題名や極端な女性論でひきつけていたんだと悟る。哲学そのものが「ヨーロッパの男性」だけを「人間」としている。神の存在定義が「要請」という言葉で表現されること、引き裂かれた自己など。
2015/06/07
袖崎いたる
著者はたしか大森荘蔵さんだかに哲学病と診断(?)されている。彼にとって哲学気質とは不健全であり、彼にとっての謎は女性の健全さだった。それはもはや器質的な差異であるかのようで。そんな彼はカント研究者。本書もカントの批判書に即して女性固有の理性の限界なんかを問うてる。辞書的あるいは日常言語的な「理性」の言葉に慣れ親しんでいるなら、概ねこの本における女性の扱われ方は「野蛮視」に思える節もある。でも男は現にそのように感じてしまうのも頷ける。「女性的」な言語ゲームの仮想を読者の経験に基づかせれば、概ね納得しえる筈。
2016/10/06
さきん
女性を哲学からカントの純粋理性批判の展開に沿って考える内容。結論は、意識してか意識しないのか、女性は理性の限界を理解し、動物として正常であり、男性こそ理性に囚われがちと言えるということである。さらに西洋人男性と非西洋人男性との間でも理性、哲学の具合が違うということである。
2016/06/22
磁石
まずタイトルに惹かれて本書を手にとった人、しょっぱなからやり込められます。あの大作をもじって注目を集めようとしている、なんていう底意地悪いこと考えてニヤリとしちゃったのですが、いきなりそんな性根を見抜かれちゃいました。だからこれは、中島さんも真っ先に思いついてのことなのだろうかとも考えられた。カントやその他ヨーロッパ男性理性とは違う彼独自の立ち位置は、私の身近なところにあるのかなと、一人照れてしまいました。……どうもこの人の作品は、どれも面白く読めてしまう。
2014/03/22
感想・レビューをもっと見る