日本文学盛衰史 (講談社文庫 た 38-4)
日本文学盛衰史 (講談社文庫 た 38-4) / 感想・レビュー
佐島楓
文学の地位そのものが衰退している今日、明治期に記すべき言葉を命懸けで模索していた文学者らの真意を追究することは果たしてどのような意味を持つのか。とても面白いアプローチだった。今や文学はメインカルチャーではなくなりつつあり、その事実を徹底的におちょくりながら真面目に考察するとこういう作品になるのかもしれない。
2018/09/02
ころこ
史実なのか、そうでないのか判別のために調べるのに加えて、今の読者にはもはや発表当時の流行や風俗に注を付けないといけない、これは読者にとって何重にも読むことができる。その中で変わらないのが日本語の文体だ。俗語革命が必要だったのは漢字、ひらがな、カタカナが混然一体となり、なおかつ表記と読みが一致しない形式であり、それを直してもなお一致しない形式であるからだ。ラカンが漢字はかなの注釈になっているから日本人には精神分析は必要ないと言ったように、行き詰ったときに日本語を読むという手段を我々は持つ。その効果を増幅した
2023/03/02
i-miya
2011.12.30(つづき)高橋源一郎著。 ◎ローマ字日記。 M42.06.02、啄木石川一は染信照庵で長谷川辰之助二葉亭四迷の葬儀の受付をしていた。森鴎外を見かけたが声をかけられなかった。無収入の啄木、下宿料は金田一が払った。文学書全部(理論書とアイヌ関係は除き)を売り払って作った40円。文学の才能は僕にはない。アイヌ語に向かうのだ。「借金というものは返せるもんだなあ」
2011/12/30
yumiha
再読。一番響いてきたのは、「WHO IS K?」の『こころ』(夏目漱石)を読み解いた章。『こころ』の第3章の先生の手紙を読み進めていた時、私も、これは(前章までの)「私」なのか?先生の「私」なのか?混乱して読みにくく、文豪ともあろう漱石が、なんで読者を惑わすような書き方をするんかいのう、とブツブツだったことを思い出したからだ。著者高橋源一郎によると、それが漱石の意図だった!というビックラこく内容だった。また、「先生」は、天皇崩御や殉死に影響されるような人ではない、というのも深く同意できた。ほんまやわ。
2019/08/19
i-miya
2013.01.08(つづき)高橋源一郎著。 2013.01.07 スポック博士(P624)。 ◎帰りなん いざ。 藤井貞和さんの詩「ものの声」を思い出した。 文庫になった『明治大正文学史』(勝田清一郎・柳田泉・猪野謙二編)を読んだから。 (i-miyaもなぜか読んでいる) 1957後半、吉本隆明『高村光太郎』。 生々しい応援の声。 勝本「鴎外、露伴に不満なのは、露伴・鴎外の文学には、自由に触れるところがなく、露伴には資本主義も社会主義もない」 志賀直哉も弾劾する。
2013/01/08
感想・レビューをもっと見る