ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫 む 6-27)
ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫 む 6-27) / 感想・レビュー
ミカママ
そうか、前回再読したのはちょうど10年前だったんだ(意味深)。今回はとても僕とユキのハワイ訪問が懐かしかった。ダウンタウンの危なげな感じとか、ワイキキビーチのホテルのバーで飲むピニャコラーダだとか、マカハへのハイウェイの運転とか、知っていると倍楽しめると思う。ただどうしても34歳男と13歳少女の友情というのが信じられない。ふたりで行動させている親にも疑問(まぁおかしな親ではあるが)。今回もいろいろ置いてけぼりだったなぁ。
2024/06/15
ヴェネツィア
これは「僕」の2度目のイニシエーションの物語なのだろう。最後に「僕」は現実の世界に戻ってくるのだが、依然として現実との違和や齟齬は残る。そもそも、愛する相手を呼ぶのに、「ユミヨシさん」はないだろう。あるいは、「耳の美しい彼女」よりも名前があるだけでもましだろうか。そして、「あなたすごく良い人だったわ」と過去形で告げたまま別れたユキとは、「僕」あるいは、読者の僕たちは、またどこか先の物語で再会できるのだろうか。
2012/06/11
zero1
死が色濃い中、人は踊っている?それとも踊らされている?生きるということは、何かを失うということ?舞台は83年。「僕」はユキと一緒にハワイへ行く。キキを見た「僕」は追いかけた先で6体の人骨を見る。これは【繋がっている】というメタファー。「国境の南、太陽の西」にも似た場面が。【再生と喪失】どころか失ってばかりの「僕」。【壁抜け】の意味は?彼の近くを人は通り過ぎていくだけ。でも彼は生きているしユミヨシさんもいる。村上作品は同じ所を巡っているようだが、残された者がいる。再生はこれからだ。何度読んでも興味深い。
2019/10/27
tokko
何となく、日々の生活に追われて疲れてくると自然に手にしている本。この小説を読んでいると、システマティックな社会で生きていることがどれだけ人々を疲弊させるかが分かる。世の中に対して敏感な人ほど、心を消耗させながら生きるしかない。心に闇を抱えてしまった五反田君や、不登校となって心を閉ざしてしまったユキは、僕たちの本当にすぐ側にいるように感じられる。
2011/05/11
抹茶モナカ
34歳という設定ながら中年期に突入したような重苦しさが滲む中、ダンス・ステップを踏む主人公。1周しているかホテルに戻って来る。この作品は、軽やかに展開しながらも、読むと重苦しい気分にもなる。村上春樹さんの執筆当時の心性の投影ともとれる。BGMとして使われる古いロックの曲が、初読の時はわからない曲ばかりだったけれど、今ではわかるようになった。村上春樹さんと同世代の人なら、主人公の嗜好の描写なんかの心への響き方も違うのかもしれないな、と思った。
2017/09/18
感想・レビューをもっと見る