マウス (講談社文庫 む 31-2)
マウス (講談社文庫 む 31-2) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
本書でも『しろいろの街の、…』と同様にスクールカーストが扱われるが、こちらは深刻なものではない。物語はそうしたカーストの中にあって、あえて周縁の目立たない位置取りをはかる女生徒、律の視点を通して語られる。これは教室では様々な位置にいる他の女生徒たち、就中他とは大きく一線を画した瀬里奈と「私」マウスの物語だ。小説としての妙味と核は、ひとえに「くるみ割り人形」にあるだろう。私たちもまた、いろいろなシーンで、あるいは社会の中で、何者かを演じているのだ。その意味ではマウスも、くるみ割り人形の女王も等価である。
2018/07/04
absinthe
面白かった。ぱっと見、特に派手な事件は無いが、心象風景の中では大冒険になっている。沙耶香様の初期の小説。もし『コンビニ人間』を先に読んでなかったら手に取らなかっただろうと思うと、やっぱり賞は偉大なのだろう。大きく異なる2つの性格を不器用に使い分ける2人。どちらが正しい自分なのか、探ろうとしないところが良い。人間にはどうせ、本当の自分などというものが、あるわけではないのだから。これからの2人を応援したい。
2019/08/20
さてさて
小学校五年生の律子が主人公を務めるこの作品。そこには、『教室の風景の一部にうまく溶け込』むことを第一に考え、周囲から浮かないこと、それだけを考える律子の姿と、やがて大学生になって瀬里奈と再開する律子の姿が描かれていました。物語前半の”スクールカースト”に描かれる生徒たちの人間模様に大人社会の縮図を感じさせもするこの作品。律子と瀬里奈が惹かれ合い、傷付け合い、そして再び繋がっていく様を興味深く見るこの作品。どこか青春物語を感じさせもする物語の中に「コンビニ人間」の原点を見たようにも感じた印象深い作品でした。
2022/12/12
zero1
誰もが誰かを演じている?小五ですぐ泣く問題児の瀬里奈(対人障害?)と同じクラスになった律。瀬里奈は自分の世界に閉じこもっていたが、くるみ割り人形」のマリーを演じることで自分を変えることができた。瀬里奈にとってマリーは「ライナスの毛布」だったのか。「普通であること」は「コンビニ人間」と同じテーマ。瀬里奈と律はどちらも自分の分身ではないか。読んでいてそう感じた。誰もがどこか変わっているもの。「私は普通だ!」と言い張っている人ほど怪しい。なぜ律は瀬里奈をマリーから離したがったのか。それが疑問として残った。
2019/03/17
新地学@児童書病発動中
思春期の少女の複雑な内面を描く長編。教室の中でクラスメートに気を使い必死になって生きようとする主人公律の姿が痛々しい。彼女の友人瀬里奈は、ホフマンの小説を知ることで、自分とは異なる仮面を身に付けて、難しい年頃を生き抜こうとする。私の好きな『コンビニ人間』とのつながりを感じた。大学生になった律はバイトをする時だけ安心感を持てる。自分に与えられた役割をきちんと果たせば良いからだ。律がひさしぶりに瀬里奈と再会する後半は、ほろ苦い味わい。少しだけ光が差してくるような結末は、詩的で美しかった。
2018/04/18
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