社会的な身体~振る舞い・運動・お笑い・ゲーム (講談社現代新書 1998)
社会的な身体~振る舞い・運動・お笑い・ゲーム (講談社現代新書 1998) / 感想・レビュー
Takayuki Oohashi
何回か読み返して、分かってくる部分もあったり、分からないままであったりする本でした。一つ思うのは、河合隼雄さんや井上浩一さんと違い、この荻山チキさんは読者に自分の伝えたいことを伝えるにあたって、分からない読者は分からないままでいいわ、と開き直っているのではないか、ということです。気鋭の評論かもしれませんが、社会の現象を自分の定義付けで説明しようという独善的な感があり、あまり好きにはなれませんでした。お笑いとゲームの説明の箇所は現代的で面白かったです。
2016/05/08
白義
今一番手頃で秀逸なメディア論入門。身体性とメディアの関わりというテーマに、マスコミとネットの関係や有害メディア論のパターンなど、読者の関心によくそった内容が手際よくまとまっている。マスゴミ批判がマスコミを強化する、マスコミに依存するネットメディア形式は特に基礎としておさえておきたいところか。また、振る舞いのデータベースをお笑い史をたどることで見出だしたりと、東浩紀、ゼロ年代思想的な文脈の隙間を有効に埋めていてサブカル論としても有益
2011/03/16
ヒダン
社会的身体とは文化的な差異や変化を伴う、学習された個人の身体に対するイメージのことで、メディアによりそのあり方が解体/構築される。この社会的身体をキーワードにメディア論を展開している。社会的身体は場面毎にでさえ組み替え可能であり、一つの社会的環境から作り出される社会的身体は常に多様である。イロモネアのワイプ画面もニコ動のコメントも他者の反応をうかがって解釈をめぐる議論の場を共有したいという同期の欲望を満たしている。この同期の欲望にそって我々はコミュニケーションの方法を組み替え、身体に取り込んでいく。
2015/01/09
またの名
読者が読むスピードよりもはるかに高速で喋りそうな若手評論家が、社会的構築物としての身体とメディアの関係性を分析。なまの体験を云々してくる懐古主義の言葉の方がよほど空疎に思える世代のリアリティは、ネタとベタのその先へと挑戦し続けるお笑い番組やワイプ画面、ニコ動の擬似同期、吸った敵の能力をコピーする赤い悪魔等々に媒介された身体感覚にこそ根ざしてる。より社会的かつゲーム的な側面から分析されたカスケード現象は的確。「有害メディア論はソクラテスの頃からあった。以上」で済む話をここまで論理的にまとめた偉業並みの執念。
2014/10/24
潮見
何がヤバいって文学のぶの字すら出てこないことだと思うんだけど、まぁ当然かもですね。スーパーマリオの例えが一番しっくり。脊髄反応的なものって、物語厨から馬鹿にされること多いけど、時代は完全に前者だよねー。読みながらずっとAKBのこと考えていた。
2012/02/28
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