我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ! (講談社現代新書 2364)
我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ! (講談社現代新書 2364) / 感想・レビュー
どんぐり
カバー裏にある舌を「べろーん」と出した若き日の吉増剛造の写真。超弩級にはじけた顔だ。結局、詩もわからなかったけれど、詩人の語りによる「詩的自伝」の多弁さ、全く理解できなかった。これは、吉増に関心のある人しか読んでは駄目だよという本なのかもしれない。詩という言葉の世界がありながら、「言葉でないもので言葉を突き抜けていこうとしている」。この感じ、わかる人にはわかるのかもしれないけれど、吉増の「非常時性」の中に身を置いてしまった不思議な読書体験だった。東京国立近代美術館で、「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」の企画
2016/05/30
ころこ
著者が細かく記憶しているように、クリアカットされた具体性のあるものと詩がセットになっている。それは彼の身体であり、彼の発する声である。彼の人生もその具体化されたひとつなので、詩と口述筆記を一緒に読むことに必然性を感じる。サブタイトルに「焔」とある。「非常時性と実存と火の玉性みたいなぎりぎりのところまで行かないと、自分の魂に対して申しわけがないという思いの方が強いんですよね。」燃え盛るというよりも、「受動的統合失調症の、言葉は枯れていくような、そういう詩の活動の原点」と、臨界点まできて発せられる言葉の「焔」
2023/03/14
姉勤
「素手で焔をつかみとれ!」サブタイトルに惹かれ、予備知識なしに手に取る。読み始めて感じる意外。磊落な詩人。しかも喜寿を超えてなお文がみずみずしく、しかも今風で、軽妙な自伝。挿入される詩に、ドラッグの目眩。ありがちな自由を謳いつつ、自由であることを強要する不自由さを感じない奔放。多くの著名人との人のつながりも、行き当たりばったりのバイオグラフィーよりも、面白い人を知った喜びを、吟じてみたくなるほど。しかし、披露するほどの詩藻は、とほほ。
2017/05/25
踊る猫
実に「軽い」と思う。この言葉は時に「尻軽」「軽薄」といったイメージを呼び起こしやすいが、吉増剛造の佇まいはぼくの印象ではそういったネガティブな意味を帯びない。「軽々」としたフットワークでジャンル(詩や文学といった芸術的障壁、あるいは国境)を飛び越えてしまう「軽さ」を備えていると思ったのだ。ゆえに彼の詩も、しかめっ面をして小難しく読むよりもぼく自身が動きながら読むべきではないかとも思う。「自伝」というには系統立てて語られたものではなく、せっかちに話題はあっちこっちに動く。これを「うねり」と読むかはあなた次第
2023/08/13
苺畑序音
以前地元の図書館で、小島信夫生誕100年記念関連の展示室にいた時に、隣で熱心に展示品を確認している不思議なオーラを発しているおじさんがいた。後でその人が吉増さんだったとわかり、その時からすっかりミーハーなんです。あの疾走(いや爆走か?)する詩の成り立ちがこの本で少しわかった気がするし、かなり笑った。おそらくここはご自身で書いたであろう おわりにー が、かなり好きだ。大好きだ。
2016/04/25
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