飛魂 (講談社文芸文庫 たAC 2)
飛魂 (講談社文芸文庫 たAC 2) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
虎は、いわば錬金術の賢者の石である。物語全体を覆うムードは、中国神仙譚の趣きであり、そこには終結点がない。まさに錬金術なのだから。今回の多和田葉子の文体は、漢字の持つ表意性を最大限に生かしつつ、同時に逸脱することで新しい意味の相を担わせようとするものである。そもそも表題の「飛魂」にしてからが、造語である。漢字であるがゆえに意味の了解は可能だが。その一方で、例えば「幽密」なる言葉が登場するが、コンテキストに置かれて初めて了解可能な言葉だ。漢字の持つ造語性を用いた、言葉と意味の解体の実験的小説と言うべきか。
2014/12/03
KAZOO
この作品も不思議な雰囲気をかもし出しています。多和田さんの作品はかなり難しそうな意味を持っていると感じるのですが、私はいつもその世界に連れて行ってくれるので嫌いではありません。ただ読者によってはかなり好き嫌いが出るのかもしれません。中国のある場所が舞台なのでしょうが、すじというよりも言葉自体が楽しめます。中島敦の雰囲気を思い出しました。
2018/03/20
zirou1984
日本語とは表音文字であると同時に表意文字である。正確に言えば、全ての文字は音を持つが、漢字は加えて意味を持っている。では、意味を持ちながらその言葉から音を取り去ってしまったらどうなるだろうか?梨水や亀鏡、朝鈴といった読み名を定められぬ者どもは女子寄宿学校での隠遁した生活と相まって、その実態はとても儚げでおぼろげだ。しかし著者の編む比喩と表現はとても美しくみずみずしく、そして肉感的でもある。思弁と実体がゆるやかに溶け合ってゆく快楽、言葉に酔い痴れることの喜び。読書の持つ豊潤さがここには見事に実っている。
2015/03/04
yumiha
どんだけ言葉が好きやねん、多和田葉子。音の響き、持ち合わせてきた意味にプラスして、映像として動き出す漢字。それを「字霊」と呼ぶ。現代川柳家には、意味を嫌う「コトバ派」がいるらしいが、多和田に比べれば、まだまだコトバを解き放ってはいない。配合とか取り合せとか、コトバどうしの化学反応を楽しむレベルだと思ふ。また、多和田自身による造語も頻出。もちろん辞書は役立たないし漢字変換にも手間取る。そうやってイメージ先行しながら、亀鏡という師のもとに集い、「虎の道」を究める子妹(子弟ではなく)の日々が描かれる。
2019/06/27
三柴ゆよし
ある日、枕元にあらわれた虎の道を究めるべく、女たちは家を捨て、女虎使い・亀鏡の弟子となる。森の奥深くにある女たちの寄宿学校での不思議な生活を描いた一種のファンタジーであり、三百六十巻にも及ぶ長大な書を紐解き続ける生活を覆そうとする革命分子の陰謀といったささやかな波紋もあるものの、基本的にはおだやかな日常パートが大半を占める。特筆すべきは多和田葉子の特異な言語感覚によって、表意文字としての漢字に新たな生命が吹き込まれている点で、それはたとえば「梨水」「紅石」「朝鈴」といった登場人物の名前に代表される。(続)
2012/11/18
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