青天有月 エセー (講談社文芸文庫 まJ 1)
青天有月 エセー (講談社文芸文庫 まJ 1) / 感想・レビュー
踊る猫
心配になってくる。というのは、この「エセー(随筆)」において松浦寿輝がまさに思うがままに、リミッターを外してロラン・バルトの向こうを張る形で「書きたいように」「自由自在に」書いている、その精神の運動のスリルが実に生々しく伝わるからだ。その運動は時に幼少期の憧憬/ノスタルジアへと至り、あるいは古代の詩人たちへのリスペクトや松浦自身をいずれ襲う「死」という(元来、どうあっても表象不可能な)概念へと至る。悪く言えば自家中毒を起こしつつある他者不在に見える文章群だが、しかしその思考は単純な自己愛に陥らず極められる
2023/08/02
踊る猫
久々に読み返すとこんなにも「死」に接近した本なのかと驚かされる。生きて、死ぬ(多分それは不意に訪れる)。ロラン・バルトの当て所もなく繰り広げられる思考を模倣/踏襲して書かれた散文は端的に平明で美しく、そしてどこまでも知的。わかりにくいところはない。ということは、この散文は固く閉じられたものではなく、初学の者にも開かれているということだ。ここからバルトを読むなりテレンス・マリック『天国の日々』を見るなり、外へリンクを辿って世界を広げるも一興だろう。ミドルエイジ・クライシスが生んだ「エセー」は、かくも美しい!
2020/04/03
踊る猫
光をめぐって、そして死について。どちらも語りやすいようでなかなか語りづらい素材だ。容易に触れ得ず感じ得ない光と死をめぐる「エセー」は時に西脇順三郎や李白の詩文を呼び起こし、時にロラン・バルトやテレンス・マリック、ゴダールへと逸脱していく。もともとなにか結論に向かって体系だって書かれるものではなくいい意味での手遊びとして書かれた「エセー」なので、その自由な発想の広がり具合をこちらも我を忘れて堪能するのがスジなのかもしれない。だが、この「エセー」の核にあるのは小説作品を書いていても匂う官能と生真面目さだと思う
2021/01/28
踊る猫
光をめぐって、グルグルと思考は回る……それは死に関する考察として結実し、あるいはロラン・バルトをめぐって語られることになる。取り分けバルトを考察した際に文章のフリーダムな有り様に至るところは、この著者が遂にその才気を開花させるところまで行き着いたかと驚かされてしまった。それは後に小説として更に大きな花を咲かせることになるのだろう。二十年ぶりくらいの再読だったのだけれど、達者/洒脱な反面執拗さに欠けるきらいもあるかなというないものねだりも考えさせられた。もちろん、ゴダールやロメールを観たくさせられてしまった
2018/04/18
salvia
詩人による光と言葉を巡るエセー。松浦作品を理解する上で必須と読み始めたが、「みずからの判断力の『試し』として書かれた文章」でもあるこのエセーを読むには、読む側も試されており、詩の素養のない私には普段に増して時間が必要だった。胸に響く文章が多く、特に「散文とは、投げられた言葉のことである。… 詩は、放たれた言葉である」というのが印象的だった。
2021/01/11
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