かかとを失くして 三人関係 文字移植 (講談社文芸文庫 たAC 3)
かかとを失くして 三人関係 文字移植 (講談社文芸文庫 たAC 3) / 感想・レビュー
佐島楓
小説という方法で人間の不自由さを書きながら、自由を探っているような姿勢が見てとれるのが印象的だった。めまいがするような奇妙な世界観は、随一のものであろう。文化や言語感覚が文学に与える影響に興味があるため、ほかの作品も拝読したい。
2018/11/07
bura
多和田葉子デビュー作。群像新人賞受賞「かかとを失くして」他2作収録の短編集。夜行列車で見知らぬ国の中央駅に降りた私が「書類結婚」をした相手のアパートで、姿を見せない夫と不可思議な生活を続けていく物語。異なる文化圏での日常の違いを異邦人の視点で描いている。独特の文学的浮遊感が素晴らしい。作者が表現する「かかとのない」小説は「つま先が地についているからこそ絶えず転びそうになっている文学」と印されていた。ドイツを拠点としている作者ならではの世界観。文学を自在に操る多和田ワールドの第一歩を味わえた。
2021/10/17
ころこ
『かかとを失くして』三島由紀夫『太陽と鉄』で、言葉は身体に対する言葉の腐食作用によって機能するというようなことが論じられていた。言葉は身体性を伴うが、身体の全能感はむしろ言葉を損ない、身体の不全感こそが言葉を生み出す。腐食作用は世界に対する諦めから始まり、超越性に代わり言葉の世界を獲得する。かかと(身体)を失くす(腐食される)ことにより、言葉により描かれた世界は立ち現れる。かかとを失くすことは前に進めなくなってしまうことなのか、新たな発見の呼び水なのか。本作を読んでもどちらかはっきりしないという印象なので
2024/10/18
踊る猫
多和田葉子作品を読むこと。それはたぶんに語り手の世界認識の歪み(いまで言う「認知の歪み」)をどんなツッコミどころがあろうとそのまま呑み込み、突拍子もなく散乱するイメージ群を自らの中に受肉して消化することを意味するのかなと思う。いや、「なにかを読む」とはもともとそうした営みだろう。だが多和田作品の場合は語り手があまりにも受け身すぎていて(つまり、外部でカオスとして生起するできごとにいちいち翻弄されすぎていて)、したがってこちらもその迷宮世界をさまようことになる。それにしても、この迷宮世界はどこまで「天然」?
2024/08/14
tamako
ノーマークだった作家だけど、夫から「カフカっぽいよ」と勧められて読んだ。電車の中で読みたい本だ。読み進めるほどに、どこかで見たような、これから向かう先の景色のような、どこにも無い景色のような、いいえ実在しないのは私、とグルグルねじれていく浮遊感が楽しい。
2021/01/03
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