文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録 ほか 芥川vs.谷崎論争 (講談社文芸文庫 あH 3)
文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録 ほか 芥川vs.谷崎論争 (講談社文芸文庫 あH 3) / 感想・レビュー
優希
贅沢な1冊でした。何が文芸的と成し得ているのか、それに対する評論は読み応えがありました。筋のない小説の論争に興味を持ったからでしょうね。自死した芥川への追悼とも捉えることができると思います。
2023/05/08
優希
再読です。芸術とは、文芸とは何かをテーマに芥川の死の直前まで谷崎と芥川が互いの文学観を論じ合っています。お互いをリスペクトしつつ、思うところを述べるという立場が見られました。自死した芥川への追悼とも捉えることができると思います。
2023/11/25
カブトムシ
芥川龍之介は、「文芸的な、余りに文芸的な」の一で「話」らしい話のない小説について、二で谷崎潤一郎氏に答ふ、を書いて論争になります。さらに 五「志賀直哉氏」を読むと、芥川龍之介がいかに読書家だったかが分かります。志賀直哉の数編について、日本や世界の似ている作品をあげています。そして「これは後世の批評家たちに模倣呼ばわりをさせぬために特にちょっとつけ加えるのである。」と述べています。志賀直哉自身の「太宰治の死」も自分と太宰治について、誇張した内容の文章をみて、書いておく方が良いと判断して書くことにしたのです。
ノブヲ
谷崎潤一郎と芥川龍之介による文学論争。両者の言い分はどちらもよく理解できる。谷崎の主張は冷静な現状認識であり、いわば形而下的な理想論である。一方芥川の主張はより夢や希望にも近く、言い換えれば、こちらは形而上学的な理想論ということになるだろうか。芥川龍之介の自殺によって議論が雲散霧消したとはいわない。しかしそれは白銀世界を穿つ漆黒のクレバスにも似て議論そのものに深い亀裂を走らせ、その一筋できた闇は、つい先程のことのように妙に生々しく、だからこそよけいにただ痛ましい印象だけをいつまでも読者に残す。
2024/03/10
かふ
谷崎と芥川はお互いの文学をよく知る友人だ。芥川が大正時代の新しい文学と葛藤していく中で、理想とする文学を模索していたのだと思います。それが志賀直哉の筋のない話(文学)として理想を見出したのは、志賀直哉の確固とした善なる思想(倫理観)を見出したからだ。それは西洋哲学から来る真・善・美という「私」の中で統一された主体であるが、芥川の神経症的な精神はそれと葛藤するしかなかった。それが分裂質のような芥川の病的な文学の一面なのだが、それを同じ文学同志の谷崎にぶつけて確かめなければならなかった。
2021/07/26
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