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だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫 2087)

だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫 2087)

だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫 2087)

作家
鷲田清一
出版社
講談社
発売日
2011-12-13
ISBN
9784062920872
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だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫 2087) / 感想・レビュー

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WATA

「労働と余暇」という視点から、明日のために今日を犠牲にする生活の問題点を示す思想書。本書によれば、現代の人々は予定をびっしりと埋めすぎる、偶然を排除してすべてを計画的・効率的に進めようとしすぎるという。それは将来のために今日を無駄なく使うべき、という価値観の現れであり、その価値観により労働は余裕のない苦しいものになり、余暇は逆に目的のない空虚なものになっているという。解決方法は自律的に他者と直接かかわる仕事して満足を得ましょう、というありがちな答えだったが、現代社会を労働と余暇から分析する切り口は鮮やか。

2014/03/12

mitei

すこしカタカナ言葉が多かったが、そもそも労働と余暇で対立するという構造自体が近代社会なのだということがわかった。

2012/01/16

ゆう。

鷲田さんは、僕には少しぼんやりとしかつかめず、言わんとしていることが理解できないという自分の勉強不足を痛感します。著者は労働VS余暇という対立物でみることに対して疑問を投げかけているのだと思います。労働も遊びも愉しみであるためにはどうすればいいのか、一体的に捉えることができないために労苦となっているのではないかという問題意識があったように思います。資本主義社会においては労働は搾取されています。しかし労働は人間性を高めるものでもあり、余暇と労働が人間発達に果たす役割は大きいと思いました。もっと学ばなければ!

2017/11/24

樋口佳之

今村仁司によっても指摘されている。「〈社会主義〉の諸思想と諸システムが、基本的な人間活動としての労働の了解様式に関しては、〈資本主義〉といささかも変りがなく、いやむしろ〈資本主義〉以上に〈労働の尊厳〉なるものを極端にまで引き伸ばしてみせたこと、おそらくそこに現代の最も根源的な問題─ひょっとすると回復不可能な〈労働主義〉の過剰展開─が横たわる/直近で読んだ本に影響受けてますが、「必然の国」「真の自由の国」に関わる議論では。

2019/03/13

寛生

『働くこと』とは何かと考えていく上で重要な文献だろう。鷲田先生らしい文体で書き進められて、例えば、『社会に入る、出る」という表現から、『社会』というものが何であるかと問い、日本人がどうして人生を一本のラインとしてイメージするのかと、彼の問いは進んでいく。だが、それに代わる時間のモードが提示されているわけではない。個人的には、鷲田先生がどこかでおっしゃられていたことと、この著書でも重複があるのが気になるが、それも『働く』ということの意味を考えると、「工場所有者が最も嫌うべき気まぐれと怠惰』なのかもしれない。

2013/09/14

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