ノボさん(下) 小説 正岡子規と夏目漱石 (講談社文庫 い 63-27)
ノボさん(下) 小説 正岡子規と夏目漱石 (講談社文庫 い 63-27) / 感想・レビュー
ケイ
伊集院氏は、とにかく子規を敬愛していて、それがこれを書かせたのだろう。しかし、情に流されて書いている。子規を愛し尊敬するのは当たり前で、筆を尽くさなくても彼の魅力が伝わるはずだと思ったのではないか。子規をよく知らない人には、ここまで誉めちぎられても良さは実感しにくい。また子規や漱石をよく知る人には少し物足りない。一年前、根津の子規庵を訪れた時のことを思い出した。子規がほとんど寝て過ごした部屋から。当時に似せた庭の眺めを見れる。「糸瓜咲いて 痰のつまりし 仏かな」子規 辞世の句
2016/05/07
KAZOO
下巻はやはり闘病生活が中心となります。病のために挫折の連続ということなのですが、それでも俳句に打ち込んでいく姿は鬼気迫るものがあります。ただこの小説ではあまり深刻では無く描かれています。やはり友人家族、俳句仲間のやり取りが中心です。
2016/05/19
佐々陽太朗(K.Tsubota)
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」 この句を私は小学校6年のときに知った。以来この句は私にとって芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」に並ぶ俳句の代表的なものとなっている。正直なところ大した句とは思えないでいたし、本書を読んだ今もそれは変わらない。ただ、本書を読んで子規が文芸にかけた思い、とりわけ俳句に書けた思いと執念ともいえる活動を知り、この句が詠まれた状況をありありと知った今、この句は私の心に子規の生きざまとともに刻み込まれた。楽しませていただきました。
2018/03/01
nico🐬波待ち中
性格も生き方も正反対の正岡子規と夏目漱石。でもその友情はかけがえのないものだった。限りある人生を精一杯生きる子規の周りには、子規を慕って絶えず人が集まってきた。自分が感動したものを言葉にする…一人の男のシンプルな想いが後に多くの文学者を輩出する。周囲の人々から「ノボさん」と親しみを込めて呼ばれ、ただ自分の信じるものに真っ直ぐと歩き続けた正岡子規。その一番の理解者であり、一番の友であった夏目漱石。今まで漱石目線の「正岡子規」を読んだことはあったけれど、子規目線の「夏目漱石」はとても新鮮だった。
2017/02/09
navyblue
病におかされながらも、正岡子規は真っ直ぐに生きようと懸命だ。あの活力はどこから湧いてくるのだろう。従軍記者になって大陸へ赴き、そこで瀕死の状態で帰国する。療養も兼ねて、故郷松山城で漱石と暮らした約2ヶ月の日々はどんな毎日だったのだろう。訪れる人を受け入れ、句会を行い、多くの作品を生み出し、、。子規の周りには常に多くの人がいた。その中で漱石は別格だった。その死後、ホトトギスで漱石は「吾輩は猫である」を世に出すことになる。ノボさんは明治という時代に、文学を形にすることに貢献した。
2018/05/29
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