赤ヘル1975 (講談社文庫 し 61-23)
赤ヘル1975 (講談社文庫 し 61-23) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
1975年―それは広島に住む人たちにとって、実に特別な年だった。被爆後30年の年であり(それは敗戦後30年でもある)、そして同時にカープ悲願の初優勝の年だった。「ずっと貧しく、弱かったカープ。熱く、一本気で、その分ガラの悪かったファン」。そのカープが後楽園で(市民球場でなかったのは幾分か悔やまれるだろうが)巨人を破って、優勝を決めたのだ。その日、その夜、広島の街はどれほどに燃えただろう。そしてまた同時にどれほどの涙が流れただろう。物語は、被爆都市広島を縦糸に、そしてカープ悲願の優勝を横糸に織りなしてゆく。
2020/03/24
こうじ
⭐︎⭐︎⭐︎3/5 面白かった(*^_^*)カープファンでないけど楽しめたよ!今年のカープは強かった!ヤス、ユキオ、マナブは喜んでいたかな?^_^原爆から30年後に初優勝!色々な思いがあった優勝なんだと感じてしまった。赤1色に染まる球場はとてつもなく凄い!来年はオレンジ1色に染めて欲しいなぁ〜(*^_^*)
2016/11/13
yoshida
1975年の広島。原爆が落とされてから30年。自身や家族が知己が被害に遭った人々が、身体や心に傷を負いながら生きていた。そんな人々の希望が市民球団である広島カープであった。悲願の初優勝に向けカープは躍動する。原爆投下後の人々の苦しみ、悲しみを知ることが出来る。爆心地近くの相生団地。原爆の絵画を描く苦しみ。原爆で家族を喪った孤老の存在。カープ優勝が近づき肉親の遺影を持ち応援する人々。様々な発見があり、涙する。原爆の悲惨さを伝え続けること。世界に発信すること。人の世から核兵器を廃絶する為の、私達の務めである。
2020/07/24
ゴンゾウ@新潮部
赤ヘル初優勝までの軌跡とカープを見守る広島の人々、そして少年達の熱気がビシビシと伝わってきた。原爆投下の傷跡を抱えながら復興を遂げた広島市民の強さが伝わってきた。
2018/05/29
ユザキ部長
1975年。自分の生まれ年。思えば小学生の頃、男は青色で、赤は女の子色。そこまで野球少年じゃなかったけど何となく大洋ファンだった。そうか広島の子達は微妙な心理だったのが良くわかる。スターがどんどん出てきて熱中する。あの転校生はどうしてるかな?
2019/12/19
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