阿蘭陀西鶴 (講談社文庫 あ 119-6)
阿蘭陀西鶴 (講談社文庫 あ 119-6) / 感想・レビュー
三代目 びあだいまおう
教科書でしか知らない人物が作家の感性と文章で眼前に蘇る。読書の醍醐味の一つだ。井原西鶴、300年前の大ベストセラー作家。人間が大好きで好奇心の塊、自信家ではた迷惑な天才作家。好色一代男が知られるが、基は異端な俳諧師。西鶴を語るは盲目の娘おあい。目が不自由なことをハンデとせず、料理・裁縫などの腕前は常人のそれを超える。愛おしい娘を自慢して回る西鶴、本気で迷惑と感じている娘。次第に気付く亡き母の、そして父の愛。出汁の香りさえ漂う丁寧な筆致が、西鶴の、おあいの心の変化を可視化する。気持ちの良い読書だった‼️🙇
2020/10/01
ふじさん
もともとは俳諧師だった井原西鶴は、浮世草子と呼ばれる庶民の物語を書いて江戸時代を代表するエンタメ作家となった。彼の波瀾の生涯を盲目の娘のおあいの視点で描かれた作品で、親子の細やかな情愛と西鶴の苦難の人生と絡まり合い心が揺さぶられる内容になっている。父親の手前勝手で何かと盲目の娘を引き合いに出して自慢する姿に諦め半分で戸惑う娘。不器用で娘を思う気持ちを伝えることが出来ない父親の人物の深さや優しさを様々な出来事か知ることになる。親子の心の葛藤や作家としての苦悩が、巧みなタッチで描かれた感動的な父と娘の小説。
2022/10/21
sin
語り手は眼の見えない西鶴の娘おあい、所々に差し挟まれる彼女の作る料理の数々が彼女が感じとる表現のままに眼に浮かぶようで、してみるとこうして本を読むという行為に通じるものがあると思いながら読んでいたら解説にも同じ様な主旨のことが記されていた。物語とは不思議だ、人が人の心情を文章として表現すると実は転じて虚となり、虚はその内に実を含む…それは人生も同じで何が真で何が嘘と割り切れるものではない。ただ懸命に生きて或るおあいと共に、自分たち読者も西鶴の生きざまを受け止めたときにこの物語の神髄が見えてくるように思う。
2017/01/12
のぶ
とても温かい物語だった。江戸の西鶴がすぐ近くにいるような感覚を受けた。本作は井原西鶴を娘、おあいを通して描いているが、その人物造形が秀逸。もとは俳諧師であった西鶴。性格は奔放。後に草紙を書き「好色一代男」が当時のベストセラーになる。その後出す作品も売れ、西鶴はすっかり有名人になる。そんな中でおあいが見つめる父との距離感が絶妙で、徐々に変化していく親子の関係の描写がとても良い。読む順が前後したが、「眩」を読んだ時に覚えた感動を再び持った。こんな関係を描かせたら浅井まかてさんは抜群。お奨めです。
2017/07/26
エドワード
江戸初期の大坂で、木版印刷されて庶民が夢中で読む浮世草子が生まれた。その産みの親こそ井原西鶴。今日の小説家の始まりである。西鶴と彼の盲目の娘・おあいの、庶民として生きた、飄々とした暮らしが蘇る。西鶴はまさに天下の台所として繁栄していた大坂が生んだ天才だ。談林派の俳諧師として出発し、滑稽な作風、一日で何千何万の句を読む矢数俳諧興行で人々を驚かす。阿蘭陀西鶴とは奇抜なヤツという意味だ。聞こえて来る芭蕉の作品に敵意をむき出しにし、浄瑠璃に手を出しては近松と親しく交わる。おあいの作る料理も実に美味そうだったネ。
2016/11/24
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