リトル・フォレスト(2) (ワイドKCアフタヌーン)
リトル・フォレスト(2) (ワイドKCアフタヌーン) / 感想・レビュー
hiro
映画を観てこの原作漫画にたどり着いた。1・2巻を読み終えて、最後に橋本愛が踊っていた神楽の場面まで、原作を忠実に映画化されていたことがわかった。スローフードと簡単にいうが、集落の人たちの助けがあるとはいえ、このいち子の“小森”での自給自足生活は、真似できそうもない。やはりいち子は子どものころから母に、料理を含めて自給自足生活ができるぐらい教えられていたということだろう。冬の厳しい小森に帰ってきたいち子は、きっと自分の子どもにも母の教えを伝えていくのだろうと思う。
2017/01/25
りょうこ
1巻読んだから2巻も...この絵のタッチ好きだな!2巻で終わりかな⁈知恵袋的に色々な食材の保存方法とか食べ方とか...。結構好きなな内容でした!
2018/06/25
manamuse
リトルフォレスト(小森)での生活は憧れるけど、雪と寒さが苦手で無理だ。いち子と一緒に暮らしたら、美味しいものたくさん食べられて幸せだろうなぁ〜♡
2020/12/20
すぱちゃん@水の中で泣いている人の涙に、気づけるような人になりたいんだ
山村で女性一人が自給自足生活を送るということは、こういうことである。素敵です。自分には無理かもしれませんが。作品の舞台である大森地区を訪れた際、作品の原画を拝見しました。実写映画版も観ました。原作に忠実な作品でした。
2019/05/11
Bo-he-mian
『魔女』の「ペトラ・ゲニタリクス」の中の「“体験”と“言葉”は同じ量ずつないと、心のバランスがとれないのよ」という台詞に対する絵解きが『リトル・フォレスト』ではないだろうか。それはまた、ネット社会で日々まき散らされる「正論」の正体を暴き立ててもいるのでは。第1巻12話『岩魚』の、「何もした事がないくせに何でも知ってるつもりで、他人が作ったものを右から左に移してるだけの人間ほどいばってる」という台詞は、「自分の根っこを求めて」農村で暮らしていた五十嵐さんの“体験”こそあっての“言葉”なのだと思う。
2018/10/11
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