四月は君の嘘(7) (月刊マガジンコミックス)
四月は君の嘘(7) (月刊マガジンコミックス) / 感想・レビュー
優愛
「私がいなくなったら公生はどうなるの?」私の宝物は幸せになれるかしら――お母さんがこんなことを思っていたなんて知らなかった。こんな風に愛していながらも一人になった公生がちゃんと幸せに暮らしていけるように、音楽で食べていけるように強く当たることしか出来なかった心情を考えると辛い。演奏が終わり、涙を零しながら公生の言った「僕の精一杯のピアノ…母さんに届いたかなぁ」もう涙腺崩壊でした。この演奏がお母さんを失って生まれたものなら、公生にとっては必要なことだったのか――何も失わずに前に進むことが出来たならいいのに。
2015/02/06
匠
ピアノを弾く時のみ、公生の心に暗い影を落としていた亡き母の幻影を乗り越え、彼が成長できたことが嬉しい。そしてそれ以上に、彼の母親の真意がわかって胸が熱くなった。もし自分が親だったとして同じ状況にあったら、きっと同じように接してしまったかもしれない。また、ガラコンでの彼の演奏が様々な人たちに影響を与え、ライバル同士高め合う姿が眩しかった。なんか、どんどん存在感が薄れているかをりだけど、彼女の容態が気になる。
2013/10/30
抹茶モナカ
かをりのガラコンサートのすっぽかしは入院のためだった。公生達には病名を明かさないかをり。斉藤先輩と交際中の椿は、高校への進路希望で、家を出ると公生に知らされ、初めて自分の気持ちに気付く。
2014/11/03
masa@レビューお休み中
かをりの伴奏者として参加したガラコンサート。ところが訳あって、公生ひとりで母との思い出の曲を演奏をしなくてはいけなくなる。思い出の曲弾く公生は、母との思い出と、母との幻影に惑わされて演奏の形を何度も変える。そして、最後にたどり着いた演奏の形は…。音楽って聴くだけで、その時の思い出が溢れかえる。それだけではなくて、匂いや色や形まで鮮やかに再現される。良い思い出であればいいが、その逆であれば苦痛以外の何物でもない。その苦痛を乗り越えなくてはいけないピアニストという表現者は、茨の道を突き進む者なのかもしれない。
2018/06/14
kanon
”僕はあそこまで精一杯やっただろうか””あそこまで真摯に―向き合っただろうか”「僕もあそこまで身も心も捧げてみたい。燃焼してみたい」―伝わるのだ。伝染するのだ。何かに向かって全力で取り組んでいることは、その対象が自分ではないにせよ、確実に伝わるのだ。それを自分に置き換えて、それから、また何かに向かって想うのだ。母さんの本当の想いを知って、理解して…自分からも伝えて…もう完全にさよなら。過去の亡霊にとり憑かれることはもうないだろう。ここからが公生の再スタート―新しい人生の第一歩を踏み出していくのである。
2014/01/20
感想・レビューをもっと見る