語りかける身体 看護ケアの現象学 (講談社学術文庫 2529)
語りかける身体 看護ケアの現象学 (講談社学術文庫 2529) / 感想・レビュー
アキ
意識はことばによって規定されるとすれば、植物状態とは意識がない状態なのか?看護師である著者がとった方法は、現象学であった。それも植物状態の患者を受け持つ新卒のA看護師の経験を、彼女との対話を通して得た言葉から着想を得るという方法。言葉を発しない患者との疎通性を「視線が絡む」「手の感触が残る」「雰囲気をつかむ」という経験から出た言葉とし、メルロ=ポンティのいう「身体化された知性」を具現化することに至る。卒論を加筆して作成した本書も、読者と著者との対話で醸成された知を生み出す。これもまた現象学に他ならない。
2021/05/06
chanvesa
「植物状態患者との意識的な層における交流が絶たれてなお患者に関わり続ける看護師に、前意識的な層を垣間見る機会が訪れ、この隠れた層へと導かれるのである。」(155頁)死んだ祖母は認知症で病院に収容されたが、元気な時とのギャップ大きく、見舞いにもほとんど行かなかった。今でも後悔している。祖母に世話になったというおばさんが頻繁に見舞いに来ていて、認知症ではないと言っていたことを思い出す。「『私』と他者である相手とが未分化な原初的地層における近く経験」(161頁)にコミュニケーションの本質的な何かがある気がする。
2020/11/17
しゅん
客観的分析ではなく、主観的な体験として植物患者との関わりの本質を分析していく。メルロ・ポンティの現象学を頼りに、看護師Aさんが語った患者3名と共にした体験を本として読者に開いていく。3名それぞれで体験談が全く異なる。コミュニケーションが取れているという実感が、相手の大痙攣の後になくなった話が印象に残っている。主観でも客観でもないという言い方はもはやありふれたキャッチコピーとなってしまった感があるけど、本書は看護する身体と、看護について語る身体の差異が強調されているように思えて、そこに光るものを感じる。
2023/11/30
ネムル
ここで描かれているのは植物状態の人間の看護だが、現象学的な志向性と時間軸は他者との向かい方に対して、色々と応用が出来そう。鷲田清一の著作など色々読み返したくなった。
2019/04/17
shikashika555
打ちのめされながら読んだ。 かつて私は人をこんなに丁寧に見たことはあっただろうか。私のやってきた事とは、やっつけ仕事に過ぎなかったのか。 私自身 対人関係に課題を抱える人間であるから、模範的に開かれた交流というのは無理にしても、それなりに誠実に向き合う努力をし、勉強し、工夫をして人と関わってきた。でも本書で述べられている「関わり」とは そんなものとは数次元の隔たりがあるのだ。 人間 というものに向かう時の根本的な立ち位置や視座が全く違うのだ。
2019/01/12
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