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小林秀雄の悲哀 (講談社選書メチエ 694)

小林秀雄の悲哀 (講談社選書メチエ 694)

小林秀雄の悲哀 (講談社選書メチエ 694)

作家
橋爪大三郎
出版社
講談社
発売日
2019-02-09
ISBN
9784065144671
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小林秀雄の悲哀 (講談社選書メチエ 694) / 感想・レビュー

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KAZOO

私ンとってはなつかしい小林秀雄の「本居宣長」についての論考で非常にきめ細かな部分もあったりして再度小林の本を読まないという気持ちにさせてくれました。むかし小林の本を読んだときにはかなり長いし、しかも宣長の古事記伝に関するものでその原文を読まねばという気持ち(気持ちだけでした)を持ったことがあります。この本を書くについて橋爪さんは宣長の原文もあたられたのでしょうが私にとっては難解であるという印象を持ちました。再読しないとだめですね。

2019/04/21

コウメ

久しぶりの本に小林秀雄に関する本を読んだが、まず本居宣長について全く知らなかったため深くわからなかった。また古事記についても同じである

2023/07/19

ころこ

『古事記伝』を著した宣長について、小林が批評した『本居宣長』を著者が批評している。小林は戦後「たんと反省するがよい」と言い放った論敵のイデオローグである、いわば絶対的他者の本居宣長を取り込み失敗する。小林の批評に批判的な著者が、絶対的他者としての小林を取り込んでみる。言説の勝負が重要でないのは、その勝負が無意味なほど共に戦争は完全に負けている側だからだ。「たんと反省するがよい」と言った先は、技術論を輸入しただけの日本の批評のことではないか。漢心を拭い去る宣長の仕事が自己批評ならば、それを批評に選んだ小林は

2020/03/25

禿童子

小林秀雄の晩年の大作『本居宣長』に真っ向勝負を挑む「批評の批評」を社会学者橋爪大三郎が敢行、と見出しをつけても良い。本居宣長という人も国学(本人は古学と言う)の方法論で江戸時代の支配的な儒学と仏教という「からごころ」を排撃した批評家であるから、批評×批評×批評の三乗構造という見立てができる。何といっても古事記を近代に蘇らせ、今の人が読める形にした本居宣長の学問上の業績が、明治維新~太平洋戦争に続く日本の近現代史に及ぼした影響の批評が橋爪さんの真骨頂。悪く言えば小林秀雄の挫折を踏み台に自説を展開している。

2019/08/29

月をみるもの

"戦後になって小林は、一億総慣悔の騒ぎを傍目に、「僕は無智だから反省なぞしない、利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」、と言ったという。素直でない小林の言い方は、私の耳には「僕は、無智でもないし、利巧な人間なので、たんと反省しました。けれども、どうその反省を口で 言い表せばいいのか、自分にはわかりません」と、聞こえてくる。「たんと反省」した小林は、それでも反省が足りないと思った。なぜなら、反省をまだ言葉にできないから" →引用続く

2020/09/12

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