U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面 (講談社現代新書 2598)
U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面 (講談社現代新書 2598) / 感想・レビュー
ykmmr (^_^)
ある7月の夜中に起こった、衝撃的な事件。舞台となった施設と、同列の場所に勤務経験があり、当時は色々考えてしまった。まずは…「どうして…こんなことを…。」と考える。Uはその『理由』をしっかり自供し、事件前に政府へ『犯行声明文』まで送っている。しかし、それは一『理由・動機』にすぎず、Uが犯行に至るまでの過程や状況など、ほぼ全てにおいて、真実は分からない。著者や有名な篠田氏などが、Uと接触を図り、状況を追うように試みを起こすが、日本の刑法・裁判制度・精神鑑定などの医療制度に阻まれ、真実が中々追えない。
2022/06/28
パトラッシュ
やまゆり園の大量殺傷事件と犯人の植松聖について論じるのではなく、この件であぶり出された裁判絡みの諸問題がテーマ。欠陥だらけの精神鑑定が法廷で採用され、死刑に処すためのセレモニーと化しているとは。裁判員裁判は市民感覚を司法の場に反映するのではなく、審理を瘦せ細らせて実質的に空洞化させる要因になっていたのだ。公正中立という言葉に呪縛されたマスコミは加害者について詳しく調べず、動機の解明や認知が歪んだ者の治療を考えたり議論する場が失われていく。日本の司法が改革という美名の下で狂いつつある憂鬱な現実を告発する書。
2021/12/03
さらば火野正平・寺
森達也による、やまゆり園事件の犯人・植松聖とその周辺へのアプローチ。森達也の著作ではあるが、読んでみるとzoomで数人の識者にインタビューしており、対談集に近い感じ。それにしても、日本に森達也のような人がいて良かったと、著作を読む度にいつも思う。本書を読むまで誤解していた事がたくさんあった。かつて日垣隆が警鐘を鳴らしていた刑法39条はさほどに機能しておらず、精神に異常をきたした被告に強引に責任能力を認めて死刑にするパターンが多いそうだ。本書を読む限り、植松死刑囚は明らかに病気である。治療するのは無駄か?。
2021/01/25
hatayan
相模原の障がい者連続殺傷事件の加害者である植松聖死刑囚を切り口に近代司法への違和感を説く一冊。重大事件にもかかわらず公判が1ヶ月半程度で結審し死刑判決が下されたことを受け、被告人の精神鑑定は事実上添え物で警察や検察が作った調書に基づいて判決が下されること、司法を市民に身近なものにするための裁判員裁判はわかりやすさを優先するあまり熟慮の機会を取り払ったと手厳しく批判。森達也氏のストイックな態度に全面的に賛同するものではありませんが、法治国家とは何かを考える題材として定期的に読んでおく必要はありそうです。
2021/01/06
読特
識者達とのインタビューを通して事件を紐解く・・否、紐解かない。どころか、あえてもつれさせる。「責任能力なし」に納得いかなくてもそれが法の趣旨。加害者に「お前が悪いんだ」と制裁を加え、溜飲を下げるために刑罰があるのではない。寛容を求めるわけではない。起きてしまった過ちをまた起こさないためには?裁判は手続きというアリバイのためにあるのではない。書くことは誰かを助けるが誰かを傷付ける。その覚悟を持つ人だけがやる。「わかり易さ」に甘んじてはいけない。「わからない」もどかしさがなければ、「わかる」ことさえできない。
2021/04/15
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