メルロ=ポンティ 可逆性 (講談社学術文庫 2630)
メルロ=ポンティ 可逆性 (講談社学術文庫 2630) / 感想・レビュー
ころこ
読ませる文章を書くという観点では、シリーズ中で著者は傑出しています。著者の導入がメルロ=ポンティと地続きになっていて入り易いともいえますが、他方で学術的な難しさも十分にあり、いつの間にか絡み合いというか、沼の感触に溺れることになります。粘り強く読んでいかないと読み通せない本でした。前期は構造研究と〈身体〉、中期はスティル論と偏差論、後期は〈肉〉の存在論と分かり易く3期分け、それぞれに〈構成〉の現象学から〈制度化〉の現象学への転位、〈両義性〉の思想から〈可逆性〉への思想の転回、〈身体〉から〈肉〉の思想の身体
2022/05/19
春ドーナツ
実存。岩波国語辞典第七版をひく。「〔哲学〕主観とか客観とかに分けてとらえる前の、存在の状態」とあるけれど、たぶんメルロ=ポンティの考える身体とニュアンスが近いと思う。フッサールの現象学的還元という操作によって純粋意識を構成することは不可能だ、とメルロ=ポンティは言う。身体は意識ー自我の「前に」世界に内属していて、身体の非人称的自我は括弧に入れることができないからだ。習慣を考えてみた場合、私の意識とは関係なしに、身体は独自の意思をもって行動する。私は今煙草を吸っているけれど、どの指で煙草をつまむとか無意識だ
2024/06/13
りっとう ゆき
世界は身体を介して繋がっている(五感を通し)。私の中では、自分も世界も他者も繋がっていて行き来しているイメージ。そしてものをみる(認識する)とは同時にものにみられる、つまり主たる視点はなく、可逆的なのだと。またその捉え方、捉われ方にはスティル、つまり人や社会それぞれのやり方がある、といった感じだろうか。そしてやりとりするごとに変移していく、つまり、ものは固定じゃないのだと。また、茫漠な世界のごく一部でそのやりとりがなされてて、それは言葉によってものが取り出されてる感じかな。(だけど言葉も固定じゃない)
2022/01/02
またの名
文体またはスティルについて:「たとえば言語表現や絵画表現をモデルにとりあげてみると、テクストや画面の構成要素の一つ一つは「ある特有の等価系にしたがって、ちょうど百の羅針盤の百の針のようにたった一つの偏差を示す」ようになっている。テクストや画面に散在している潜在的な意味がある共通したヴェクトルのもとに収斂させられ、そこに一つのまとまった意味空間が開かれる、といった仕組みになっている。そしてこの仕組み、より精確には、ある共通の偏差がそれにしたがって発生するところの指数を、メルロ゠ポンティは〈スティル〉と呼ぶ」
2023/06/02
めまい
鷲田先生の本はとても難しいのだが、章立てや文章構造が精密なので、引き込まれるように読んでしまう。メルロ=ポンティは〈肉〉の概念、身体性について過去に幾らか読んだくらい。可逆性の章が抜群に面白かった。本書は概論に近いので、また改めて原典にあたりたい。(すごく骨が折れそうだが。)
2024/07/14
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