文学国語入門 (星海社新書 167)
文学国語入門 (星海社新書 167) / 感想・レビュー
ころこ
タイトルで損をしています。言文一致から小説が生まれ、小説から「私」が生成される。小説の「私」というのは作者のことでもなく、リアルな私でもない。小説によって語られることによって立ち上がり、事後的に発見される私である。小林秀雄は、なし崩しに語られる私に対して批判的であった。漱石の『猫』は存在しようもない私を猫に代入して、いわば「私」を疑う小説だといえる。この様に「私」を疑い、「他者」を疑い、「物語」を疑い、「世界」を疑い、「作者」を疑い、「読者」を疑う。各章で論じられるのは、普通は小説の構成要素だと思われてい
2020/12/12
武井 康則
明治という開化の時代になって、近代文学成立のために新たに発明しなければならなかった「自我(私)」「他者」「物語」「世界」「作者」「読者」について、その起源と影響を述べ構造主義が解体したさまを語っていく。民俗学を修めただけあり、柳田国男を読み込み、(柳田は文学にも深く関わっていた人だから)他と違う資料、切り口をいくつも持っていて素晴らしいのだが、まず、表題がいけない。これでは、高校生以外は買わないだろうし、高校生も買う者はわずかだろう。高校国語で文学の成立、成り立たせる要素の分析、解説などをするわけないし。
2021/09/18
のっち
☆☆☆★ 「文学国語」の表記が目新しく、どうやら2022年から実施予定の高等学校学習指導要領で新たに設置される科目とのこと。改革の目玉としては、マニュアルや契約書といった日常生活に役立たせるために学ぶ「論理国語」の方に重点が置かれがちだが、そもそも新指導要領の意味を紐解くと、今こそ近代文学の出番だと筆者は説く。非常に読みやすいが、内容は文学の深淵を覗くようで結構難解だと感じた。
2021/04/23
nnnともろー
新学習指導要領を純粋に読む限り、近代文学が今そこ求められている(皮肉を込めて)。近代文学を読むことは疑い方を学ぶこと。暴走しがちな「私」を制御するためには?社会や他者との関わりを考えるための近代文学。
2021/06/13
Myrmidon
一読の価値あり。「多くの高校の学習内容から文学が消える」と一部で話題の「文学国語」。大塚は、新学習指導要領を敢えて素直に読めば、要請されているのは「他者や社会」と関わる能力であり、これは柳田国男や日本の近代文学の問題意識と同じなのだ、実は要請されているのは近代文学の読み直しなのだ、と主張して、日本の近代文学から最近のラノベまでを扱いつつ、日本の近代文学が「私」や「他者」をどう扱ってきたかを述べる。大塚の従来通りの主張だが、高校生にも読めるように配慮して、敢えて易しく述べている感じ。三島や太宰の「世界」(=
2020/11/10
感想・レビューをもっと見る