晩年のカント (講談社現代新書 2603)
晩年のカント (講談社現代新書 2603) / 感想・レビュー
lily
1000ページの「カント伝」が益々気になる。読みたい。フィヒテとの確執もだし、哲学者同士は上手くいかないものなのね。哲学者同士の対話ほど面白い会話劇はないだろうに。どれだけ哲学しても自説が凝り固まる一方なことは意外だ。
2021/06/01
テツ
中島先生のカントについてのお話は塾でも聞いていたこともありすんなりと入り込めた。自身の人生を通して積み上げる哲学という道。晩年のカントは何を考えていたのか。歴史に名を残すような大哲学者とは違う平々凡々なぼくたちにだって人生を通して積み重ねてきた何かがあり、その終わりが見えてきた頃に振り返って思うことがきっとあるんだろうな。自分だけにしか歩めない道で自分だけが見てきた景色について、客観的に(それを客観視することは不可能だけれど)考えてみたくなりますね。
2021/03/15
Satoshi Hara
カントの人間らしさが生々しく描かれた本。著者の解説や想いもあり、楽しく読めた。カントが地理や生物学についても講義や執筆していたのには驚き。哲学者が老いたときの、真理には辿り着けずに世を去っていくときの寂しさには切なくなった。けど、他も似たようなものだと思う。成し遂げたいものを成し遂げ続けて初めて「自分は長く生きた」と感じることのできるという箇所にはすごく同感。あっという間の人生だったなんて思いたくないので、毎日を必死に生きたい。
2022/10/22
うえ
相変わらずの中島節。「なぜ、哲学の闘争は、とくに諸実証科学のように論争に決着がつかないのか? 答えは比較的簡単であり、諸実証科学においては事実の真偽を検証する方法に関する共通了解が成立しているのに対して、哲学にはこの共通了解が基本的に成立していないからである。しかし、さらに根本的な理由がある。哲学論争には、哲学(研究)者の「実感」さらには「好み」が大幅に作用しているからなのだ。「世界全体は観念である」というカント(超越論的観念論)の主張の賛同者と反対者の相違は、たぶん世界に対する実感の相違なのであろう。」
2022/07/06
Susumu Kobayashi
大方の哲学(研究)者たちは、自分がどんなに鋭い批判をしても絶対に自説を変えないことに対して「諸実証科学においては事実の真偽を検証する方法に関する共通了解が成立しているのに対して、哲学にはこの共通了解が基本的に成立していないからである」(p. 137)とし、さらに根本的な理由として「哲学論争には哲学(研究)者の「実感」さらには「好み」が大幅に作用しているからなのだ」と述べている。百家争鳴状態が続くだけで哲学はそれでいいのだろうか。全体的に著者の人生に対する苦みが感じられた。
2021/04/16
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